マクシム・ブリノフ撮影/ロシア通信
ロシア非常事態省によれば、事故が起きたのはモスクワ時間の23時58分で、ヴヌコヴォ空港の報道係は、こう伝えた。「滑走中の23時58分に空港の除雪車との衝突が起き、その結果、機体は完全に焼け、乗客一人と乗員全員が死亡し、除雪車の運転手に被害はなかった」。
取調委員会の見方
ロシア連邦取調委員会の報道係によれば、死亡した4人全員の遺体はすでに発見され、事故現場からファルコン機の「ブラックボックス」が回収された。取調委員会によれば、事故の原因として、パイロットの過失、管制官の過失、除雪車の運転手の過失、視界不良の4つが考えられる。
取調委員会は、「除雪車の運転手は酩酊状態にあったことが現時点ですでに判明しており、刑事事件の審理中に一連の空港職員の職務を停止する決定が採られる可能性がある」と伝えたが、容疑者の弁護士アレクサンドル・カラバノフ氏は、自身の弁護依頼人の酩酊状態に関する情報を否認した。
一方、事故の調査のために国家間航空委員会の指揮下に特別委員会が設置され、近く、フランスの専門家らがその活動に加わる。
今回の事故は、ロシア連邦刑法第263条第3項によって規定されている犯罪の徴候(不注意により2名以上の死亡を招いた航空機の運航および運用の安全規則の違反)に基づく刑事事件として立件された。
なお、取調委員会は、計画的殺人の可能性を除外している。
モスクワ空港管制センターのアナトリイ・クリーク所長によれば、現在、飛行機の離陸を担当していた管制官らに対する事情聴取が行われている。
クリストフ・ドマルジュリー氏
ロシアのドミトリイ・ペスコフ大統領報道官は、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領がトタル社のクリストフ・ドマルジュリーCEOの死亡に関連して哀悼の意を表したことを伝え、こう述べた。
「ウラジーミル・プーチン氏は、ドマルジュリー氏と旧知の間柄であり、仕事の上で緊密な関係にあった。大統領は、ドマルジュリー氏のビジネスのクオリティーや、露仏の二国間関係ばかりでなく多面的な互恵協力全体をも発展させる事業へのその一貫した献身的姿勢を、高く評価していた」。
クリストフ・ドマルジュリー氏は、1951年8月6日、パリに生まれ、1974年、パリの高等商業学院を卒業した。
1974年から、トタル社の財務部に勤務し、初めは予算を、後には採取および地質探査プロジェクトの資金供与を、担当した。1987年、トタルの財務主任に任命され、1990年、トタル・トレーディング・アンド・ミドル・イースト社へ移り、初めは財務責任者を、後には副社長、社長、中東担当のトタル社の副執行責任者代理を、務める。1995年6月、トタル社の役員会へ入り、中東担当の副執行責任者となる。1999年6月、統合会社トタルフィナの採取および地質探査担当の責任者に任命され、2000年3月、統合会社トタルフィナエルフの採取および探査担当の副社長となる。2002年1月より、トタル社の筆頭副執行責任者、後に、トタル社の「探査・開発」部門の責任者。2007年、トタル社のCEO(最高経営責任者)となる。
レジオンドヌールと国家功労というフランスの二つの勲章を受勲。
囲み
ダッソー・ファルコン50は、三発エンジンの遠距離ビジネスジェット機で、1976年から2008年にかけてダッソー・アヴィエーション社によって生産された。1994年、この飛行機が蜂起勢力によって撃墜され、乗っていたルワンダとブルンジの大統領が死亡した。ダッソー・ファルコン50は、フランス、イタリア、イラン、モロッコ、ポルトガル、南アフリカ共和国、ヴェネズエラ、ウクライナの空軍にも配備されている。
トタルのクリストフ・ドマルジュリーCEOは、ロシアのドミトリイ・メドヴェージェフ首相がホスト役を務めた外国投資に関する諮問評議会の年次会合に出席するためモスクワを訪れていた。同氏は、対露制裁の反対者として知られていた。
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