ベスランの悲劇から10年

ベスランの悲劇の犠牲者が眠るベスランの墓地「天使の街」

ベスランの悲劇の犠牲者が眠るベスランの墓地「天使の街」

ロシア連邦北オセチア共和国の小さな町ベスランで2004年9月1日、ショッキングな事件が発生。ニュースが世界をかけめぐった。第1小・中学校で始業式のお祝いが始まろうとした時、テロリストのグループが侵入し、建物を占拠。1000人以上の児童と保護者が人質にとられた。この事件の犠牲者の数は334人。小さな町の住人ひとりひとりの人生を大きく変えることとなった。この事件の被害者や遺族は10年経過した今、どうしているのだろうか。

 ベスランの始業式が91日に行われることはもうない。95日から新学年が始まる。それでも1日の早朝、学校へ行く人もいる。リタ・シダコワさんは、頭に喪章をつけ、娘の通学路だった道をゆっくりと歩く。爆発と火災で崩壊した体育館に入ると、そのまま時を忘れる。ここには何日でも立っていることができる。水も食べ物もなしに。9歳の娘だって我慢していた。短い生涯の最後の瞬間を、機関銃を向けられたまま、ここで過ごしていた。

 

外の気温は30度、3日間水を飲めず

 

リータ・シダコワさん

 「娘のアーラは私がずっと待ち望んでいた赤ちゃんで、一人っ子だった。女手一つで育てていた。あの日の朝、娘を学校に行かせて、私は職場に向かった。あれが娘を見る最後の瞬間になるなんて、思いもしなかった。職場の事務所に座りながら、ふとため息をついて時計を見たことを覚えてる。時間は915分。後でわかったことは、その時学校で最初の銃声が響いてたってこと。その10分後ぐらいに電話がなって、『何じっとしてるの?学校が占拠されたのよ!』と言われた。体の中ですべてが崩れていく感じがした」とシダコワさんは回想する。

アーラちゃん

 時間はとてつもなく長く感じられた。93日、校内で2回の爆発が起こった後、大混乱が始まった。人質の一部は何とか脱出できたが、多くがその場に残った。テロリストに降伏する構えはなく、事件は入念に計画され、多くの犠牲者を出すことが目的とされていた。

 アーラが埋葬されているのは「天使の街」。この事件の犠牲者が眠るベスランの墓地がこのように呼ばれている。

 「私たちの苦しみをわかち合ってくれてありがとう。世界中から向けられる人々の優しさと親身さが、私たちの力となり、痛みを和らげる。皆さんのおかげで強くなれる」とシダコワさんは感謝する。

 

体育館で祈って信じていた

マジナ・トカエワさんの家族

 この事件の生存者にとって、9月は服喪の日々となる。生きて帰ることのできなかった人を追悼するため、元人質は事件現場へと足を運ぶ。マジナ・トカエワさん(25)もその一人。テロが起きた時は15歳だった。

 「ひどい状態だった。人質は体育館の床に座っていて、そのまわりでテロリストが何かの導線を引いていた。全員がもうすぐ死ぬんだって言われた。すし詰め状態で足をのばすこともできなくて。そんな中でも仮眠をとったりしていた。後は祈っていた。教会に行ったことのない人も。祈りながら、この地獄が終わって私たちは助かるんだって信じて、望みをかけていた。すごく怖かったこと、すごく喉が渇いていたこと、小さな子どもたちが泣いていたのをよく覚えてる。そして崩壊が起こった...気づいた時にはもう病院にいた。看護師に『ここはどこ、今日は何日?』って聞いたの。そしたら913日だって。ずっと蘇生術を受けていたけど、10日間の記憶がまったくない。私には意識があって、会話をしてたらしいのだけど、全然覚えてないの。精神分析医はこれを私の記憶の防護反応だって教えてくれた。すべてを覚えていたら、きっと精神が壊れていたでしょうね」

 トカエワさんは爆発で頭部などに多数のケガを負った。特に重症の患者は連邦医療センターに搬送された。トカエワさんは他の11人の児童とともに、軍用機でロストフの州立小児病院に搬送され、脳の手術を施され、破片が摘出された。トカエワさんが歩けるようになるまで、多くの人の努力が払われた。その後、リハビリのために海外に渡った。

 「今はもう結婚しているの。息子は4ヶ月。いろいろあったけど、人生は続いている」

 

「人を助けたい」

 アラン・クロフさんはもうすぐ22歳になる。医療アカデミーの5年生。2004年から、自分のため、そして8歳でこの世を去った弟のオレグくんのために生きている。

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 200493日、クロフさんは奇跡的に生き延びた。金属破片の1片が頭に、もう1片が脊椎の付近に刺さった。1年目はほぼ病院で過ごし、障がい者認定も受けた。だが医療関係者の努力と本人のかたくなな意志で、すでに障がい者ではなくなっている。

 クロフさんの母ジャンナさんはこう話す。「事件は当然ながら影響を及ぼしてる。将来の職業を選ぶ時、息子は『人を助けたい!』って言ったの。最初は特殊部隊に入ることを夢見ていたのだけど、健康状態がそれを許さないから、医療分野に進むことを決めた。今は口腔科医を目指していて、とても頼もしい」

 

母親の会

 子どもを失った母親は、「ベスランの母親」委員会を立ち上げた。シダコワさんは社会活動に自分の将来を見いだした。あれからずっと一人暮らしだが、他の多くの家族のように再び子どもを持つことは、考えなかった。

 「私たちの主な課題は、社会支援、被害者のリハビリ、あとは犠牲者の記憶を残すこと。テロの発生を許した人が罰せられることも望んでいる。テロリストがベスランに入り、学校に侵入できるような状況にしていた人。最後の混乱についてもまだたくさん疑問がある」

 毎年91日午前915分、ベスランでは風船が空に舞い上がる。学校で最初の銃声が鳴り響き、始業式で風船を手に持っていた子どもたちがびっくりして風船を放してしまった時間だ。93日には「天使の街」で、メトロノームの音とともに、334人の名前が読み上げられる。そしてまた、同じ数の白い風船が、子どもたちの魂のごとく、空高く舞い上がっていく。