写真提供:コメルサント紙
退役軍人が警備員に
モスクワの南東600キロメートルに位置するモルドヴィア出身のアレクセイ・プィシュネフさん(38)は、16回戦争に参加。第一次チェチェン紛争には兵士として出征し、次に内務省特別部隊(OMON)に入った。半年家にいて、半年チェチェンに行くという、単純なスケジュールだった。第二次チェチェン紛争には契約出征。次にグルジアと南オセチアで戦った。何度も負傷したが、2008年、背中に爆弾の破片があたり、軍から外された。脇腹、足、脊椎にも傷のあるプィシュネフさんは現在、2000ルーブル(約6000円)の永久手当を受け取りながら、モスクワのクラスノプレスネンスカヤ公園を警備している。
南オセチアの後、ロシア連邦刑執行庁に入ろうとしたが、年齢条件に合わなかったため、警備員の仕事を選んだ。
ロシアで警備員になるためには1万ルーブル(約3万円)を支払わなくてはならない。警備員学校で70時間学び、内務省職員立ち会いの試験を受け、卒業証書と再認証カードを受け取り、指紋を登録し、2ヶ月間待つ。そして認定される。軍備警備員では5000~7000ルーブル(約1万5000~2万1000円)ほどこれが高くなる。民間警備会社職員法によると、警備関連法、刑法典、行政法典を覚えなければならない。
民間警備員および貴重貨物の警護の給与が最も高い。オフィス街はエリートのスポットであるため、働くのは快適で安心。大変なのは車置き場や大きな店の仕事で、地方から来る人の主な就職先となっている。モスクワでは当直と呼ばれている。
プィシュネフさんは典型的な当直者だ。モスクワの当直先で2週間働きながら生活をし、2週間地元の家に帰る。2008年の金融危機後、モスクワ出身の警備員はほとんどいなくなった。以前はモスクワ州に隣接する地域の男性がモスクワ市内で働いていたが、現在はチュヴァシ共和国、モルドヴィア共和国、トゥヴァ共和国などの遠方から来ている人が多い。これらの遠方の警備員は年齢的に比較的若く、安い給与でも仕事に応じる。プィシュネフさんはクラスノプレスネンスカヤ公園の仕事で、1日1500ルーブル(約4500円)受け取っている。モスクワの警備員の給与は1シフトあたり2500ルーブル(約7500円)が相場だ。
クラスノプレスネンスカヤ公園の警備員は行政の建物の部屋で暮らす。プィシュネフさんのところには寝台、洗濯機、冷蔵庫があり、6時間ほど睡眠をとって交代する。料理も交代制で、1人が休憩時間に店に買い物に行き、次の人が材料を洗ったり、切ったりし、調理するのが間に合わなければ、その次の人がする。
警備分野の統計
ロシアでは2万6000社の民間警備会社に対し、70万人ほどの登録警備員がいる。これ以外に他の種類の警備員、門番、守衛、検査員が存在し、ロシア下院(国家会議)安全委員会の調査によると、その数は20万人ほどになる。民間警備会社労働組合によると、警備員、その管理者、顧問、経理などを含めると、非国営安全分野で働く人は300万人以上いるという。内務省自体にも、マンションの警備から貴重貨物の運搬まで、30種類以上の有料警備サービスがある。
ロシアで警備を行っている人の総人口は140万人強。うち3分の1が国に雇用されている。「1990年代には必要性と流行から、数万人の個人がボディーガードを雇っていた。たくさんの資金がこれに投じられた」と下院安全委員会の委員で、以前国の警護組織の職員を務めていたアンドレイ・ルゴヴォイ下院議員は話す。
非国営安全市場の規模は15億ドルから30億ドル(約1500億円から3000億円)ほどと試算されているが、国家機関の警備やその給与を計算するのはさらに困難になる。
「国民の間で警備サービスは人気がない。流行は廃れている。これは国の動きであり、そこに民間の実業家が参入している」と、社会学者でロシアの世論調査機関「レバダ・センター」の所長を務めるレフ・グトコフ氏は話す。これはロシアで私有財産の文化が構築されていないことに関係しているかもしれないという。ソ連では建物への出入りは自由だったが、1990年代に警備を置いたり、塀を建てたりすることを覚えたという。「警備は事実上の“影の軍”」とグトコフ氏。
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