プーシキン美術館に新しい時代の風

プーシキン美術館の元館長、イリーナ・アントーノワ氏(91) =セルゲイ・クズネツォフ/ロシア通信撮影

プーシキン美術館の元館長、イリーナ・アントーノワ氏(91) =セルゲイ・クズネツォフ/ロシア通信撮影

半世紀あまりプーシキン美術館(A.S.プーシキン名称国立造形美術館)の館長を務めてきたイリーナ・アントーノワ氏(91)がその座を退き、7月10日、マリーナ・ロシャーク氏が新館長に就任する。この世界有数の美術館は、特に印象派、ポスト印象派のコレクションで世界的に知られる。

現代化の中身は? 

 ロシア国民の多くは、半世紀あまり同美術館の館長を務めてきたイリーナ・アントーノワ氏のポストへのロシャーク氏の抜擢は、単なる人事異動ではないとみなしている。それは、モダニゼーションがミュージアム事業という社会生活の最も保守的な分野の一つにまで及んだことを意味する。ロシャーク氏は多くのインタビューで「ミュージアム革命」を企てるつもりはないと明言しているが、変化が必至であることは明らかだ。

プーシキン美術館・マリーナ・ロシャーク新館長

 マリーナ・ロシャーク氏は、1955年オデッサ生まれ。ロシア・アヴァンギャルドの中心的キュレーターの一人。ギャラリー「プロウン」の共同設立者、共同所有者、アートディレクター(2007年より)。モスクワ博覧センター「マネージ」のアートディレクター(2012-2013年)。素朴派や帽子類のコレクター。オデッサ国立大学(古典文学専修)卒。SBSアルゴ銀行のコレクションの創設にたずさわる。モスクワ博覧センター「ストリーツァ(首都)」の場長としてモスクワ最大の博覧会場を芸術の領域へと変貌させた。2012~2013年、モスクワ博覧センター「マネージ」で、「すべて売り物、ロシア看板史」、「ソ連のネオリアリズム」、「フェミニズム、アヴァンギャルドから今日まで」、「私のいちばん大切なトランク」といった展覧会が催され、日本の現代美術家である塩田千春の企画展「交点」の作品、チャールズ・サンディソンの照明インスタレーション「太陽嵐の地球の谺」、イリーナ・コーリナのインスタレーション、АЕS+Fが展示された。マネージには、スクリーン文化ミュージアムや書籍ミュージアムが開設された。カンディンスキー賞審査委員。

 

 それは、ロシャーク氏(1955年生まれ)が前任者とはまったく異なる世代および芸術界の代表であることからも分かる。同氏は、そもそも文学者であって芸術学者ではなく、文学プロジェクトや前衛芸術に関連したプロジェクトを手がけてきた。アヴァンギャルドを志向するオデッサ文学博物館やモスクワのマヤコフスキー博物館の仕事をし、「モスクワ芸術センター」のためのロシア・アヴァンギャルド展を開催し、最近は博覧センター「マネージ」の場長を務めていた。そちらも博物館としての規模は大きいが、プーシキン美術館には遠く及ばない。こちらは、ボリショイ劇場やエルミタージュ美術館と肩を並べるロシアの文化遺産なのだ。

 

「欧米のスタンダード目指す」 

前館長イリーナ・アントーノワ氏

 前館長イリーナ・アントーノワ氏は、1922年モスクワ生まれ。芸術学者、プーシキン美術館(A.S.プーシキン名称国立造形美術館)館長(1961~2013年7月1日)。2013年7月1日よりプーシキン美術館総裁。「モスクワ―パリ」、「モスクワ―ベルリン」、「ロシア―イタリア」、「モディリアーニ」、「ターナー」、「ピカソ」といった大規模な国際展覧会の発起人そして組織者。  100以上の論文を執筆し、国立モスクワ大学芸術学科、映画大学、パリの東洋語学院で教鞭をとる。

 ロシャーク氏は、自ら掲げる主な課題の一つとして、同美術館を現代の欧米のスタンダードへ至らしめることを挙げ、こう語る。

 「アプローチの現代性とは、必ずしもラディカルな変化を意味するわけではなく、照明やナビゲーョンといった身近な言語の文化と関連しています。たとえば、Wi-Fiは今では空気のように不可欠なものであり、きわめて簡単な手法を用いて前へ進むことができます。総じてミュージアムは現代の言葉で語るべきです。モスクワの情報の流れは速いので不断の刷新が必要なのです」。

 実際には、単なる技術的な改善だけでは済まされない。収蔵品を展示するスペースが致命的に不足している同美術館の拡張やヴォルホンカにおけるいわゆる「ミュージアム・タウン」の建設がかねてから懸案となっている。このプロジェクトは、かつてイギリスの建築家ノーマン・フォスター氏が手がけたが、いまだに実現されていない。

 

「開かれた収蔵」 

 ロシャーク氏は、抱負をこう述べる。「開かれた収蔵という考え方に惹かれます。それはオランダにおける窓かけなき窓のようです。ロシアでは鎧戸や囲いが好まれますが、私たちの課題はそれらをみんな取っ払うことです。専門家委員会を拡大し、単に博物館的な視点よりもう少し広い視点をもつことが必要です。私は市当局との協力に大いに期待しています。何といっても市が一番関心を抱いているはずですから。公園を人々が生き生きする場所にするのと同様に、美術館も人々がのびのびできる場所にすることが大切です」。

 入り口の疲れた老婦人、重たいカーテン、いかにも芸術の殿堂といった雰囲気…、こうしたおなじみの美術館像に慣れている人々には、いささか衝撃的に聞こえるかもしれない。 

 しかし、マリーナ・ロシャーク氏は、かねてから一貫してリベラルな視点の持ち主であり続けてきた。プーシキン美術館では現代美術展が久しく催されていないが、もしかすると、そうした展覧会が近い将来しかも大々的に開催される運びとなるかもしれない。

 

エルミタージュ美術館との最近の対立 

 美術館に関連した最も頭の痛いテーマの一つは、絵画の一部のモスクワへの移管をめぐるサンクトペテルブルグのエルミタージュ美術館との最近の対立で、問題となっているのは、かつて閉鎖された新西洋美術館の再建だ。

 当時、印象派やモダニズムの作品のユニークなコレクションは、プーシキン美術館とエルミタージュ美術館の間で分けられた。新西洋美術館の再建の話が持ち上がったが、ロシアで最も西洋的で威信のある美術館であるエルミタージュは、自分の持ち分をなかなか手放そうとしない。

 ロシアのメディアへのインタビューで、ロシャーク氏は、新しい美術館にコレクションを集めることに賛成はしたが、それは「美術館より上の」つまり国家の決定にゆだねられるべきであるとすぐに言い添えた。

 

一つだけ明らかなのは大きな変化が訪れること 

 ロシャーク氏の任命は、美術館の問題としてはかつてないほどの社会的反響を呼び起こした。ある者は、この分野における国家の影響力の強化を予言し、ある者は、美術館のアカデミックで閉鎖的な世界の必然的な自由化について語り、国家レベルでの現代芸術の“認知”を予言しているが、一つだけ明らかなのは、2013年7月10日にロシアの芸術界に大きな変化が訪れるということだ。

プーシキン美術館

 A.S.プーシキン名称国立造形美術館(旧称「モスクワ帝室大学付属皇帝アレクサンドル三世名称芸術博物館」)は、ロシアで最も大きく重要な欧州世界芸術博物館の一つ。1912年5月31日(グレゴリオ暦6月13日)開設。展示面積2672,2平方メートル、保管面積2364,8平方メートル。同美術館は、モスクワ大学古代芸術室をベースに、世界の古典芸術作品の複写や模造の補習公開用保管庫として、創設された。  

 1949~1953年、同美術館の展示活動は中断され、同美術館のスペースは「ソ連の諸民族および諸外国からI.V.スターリンへの賜物展」用に割り当てられた。  

 同美術館の収蔵品は、古代ギリシャ・ローマから20世紀にいたるまでの西洋芸術作品のコレクションとなっている。  

 第二次世界大戦後、ドレスデン美術館の大部分の絵画やトロイアの遺跡でハインリッヒ・シュリーマンによって発見されたプリアモスの宝物が、同美術館に収められた。のちに、ドレスデン美術館のコレクションは東ドイツ当局へ返還されたが、西ドイツの美術館や個人のコレクションである若干の文化財は同美術館に残された。  現在、コレクションは、絵画、線描、彫刻、工芸の作品、考古学や古銭学の遺物、芸術写真など、合わせて56万点以上を数える。

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