ミンスク和平合意から2年

Valeriy Melnikov / RIA Novosti
 ウクライナ軍とウクライナ南東部の承認されていない共和国の義勇軍との間で武力衝突がピークに達していた2014年9月5日、停戦を呼びかける初のミンスク和平合意が調印された。この紛争を解決しようという試みがその後どうなっていったのか。ロシアNOWが追う。

2014年2月19日、キエフ=ロイター通信2014年2月19日、キエフ=ロイター通信

 ウクライナでクーデターが発生し、「欧州広場」の参加者(反政権派)が当時のビクトル・ヤヌコビッチ大統領を解任した2014年2月、ウクライナ南東部で動乱が起こった。歴史的にロシアに近い南東部住民は、ウクライナ国内で民族主義が高まり、ロシア語の使用が禁止されるのではないかと警戒した。クリミアがロシアに編入された後、南東部ドネツィク州とルハンシク州の「新ロシア」派の活動家は、複数の都市を自分たちの管理下に置き、武装蜂起を開始した。

 その結果、2014年夏、ウクライナ南東部でウクライナ軍と、「ドネツィク人民共和国」、「ルハンシク人民共和国」の義勇軍の間で、全面戦争が始まった。

 戦争は苛酷であった。双方の砲撃に巻き込まれて一般の住民が死亡し、かつてウクライナの石炭および鉄・非鉄の産業の中心として栄えた南東部のインフラが壊滅状態になった。

ウクライナ軍空爆後のルガンスカヤ村(ウクライナ東部)の住民=ヴァレーリイ・メルニコフ撮影/ロシア通信ウクライナ軍空爆後のルガンスカヤ村(ウクライナ東部)の住民=ヴァレーリイ・メルニコフ撮影/ロシア通信

 両「人民共和国」が攻勢を強めた2014年8月、ウクライナは外交的に解決することを決定した。2014年9月5日、ベラルーシの首都ミンスクで、ロシア、ウクライナ、両「人民共和国」、「欧州安全保障協力機構(OSCE)」監視団が、ミンスク和平合意「ミンスク1」に署名した。これによると、紛争当事者には停戦と捕虜の交換が義務づけられている。

 ウクライナはこの時、南東部の「特別な地位」に関する法律を制定し、地方分権を実施することを約束した。

左から右に向かって、ドネツィク人民共和国のアレクサンドル・ザハルチェンコ首相、ルハンシク共和国のイーゴリ・プロトニツキー指導者、ロシアのミハイル・ズラボフ在ウクライナ大使、ウクライナのレオニード・クチマ元大統領、タリアヴィーニOSCE特別代表が、ミンスク市のプレジデントホテルで行われたウクライナ連絡グループの会合の後、記者団に語る。=ゲンナージー・ジンコフ撮影/タス通信左から右に向かって、ドネツィク人民共和国のアレクサンドル・ザハルチェンコ首相、ルハンシク共和国のイーゴリ・プロトニツキー指導者、ロシアのミハイル・ズラボフ在ウクライナ大使、ウクライナのレオニード・クチマ元大統領、タリアヴィーニOSCE特別代表が、ミンスク市のプレジデントホテルで行われたウクライナ連絡グループの会合の後、記者団に語る。=ゲンナージー・ジンコフ撮影/タス通信

 ミンスク1で南東部は平和にならなかった。2014年秋、紛争当事者のいずれも完全に停戦しなかった。小競り合いは起こり、人口集積地での砲撃は続いた。ただ、この時期、戦闘は幾分収まっていた。両「人民共和国」の領域には、ロシアなどからを含む人道支援物資が届けられた。

ヴァレーリイ・メルニコフ撮影/ロシア通信ヴァレーリイ・メルニコフ撮影/ロシア通信

 2015年1月、全面的な武力衝突が再開した。CIS諸国研究所のウラジーミル・エフセエフ副所長によれば、期待の高まりもこれに影響しているという。つまり、状況が比較的落ち着いていたため、ウクライナ軍の力が回復し、その勢いで南東部を一掃できると自信を持ったのだ。また、義勇軍も、自分たちの管理領域を拡大できると考えた。

 「そして一連の衝突が起き、数百人の犠牲者が出た後で、紛争当事者はそれぞれ、目標を達成できるような力がないと悟った」とエフセエフ副所長。ウクライナ軍の攻撃とデバリツェヴォ郊外でウクライナ軍部隊が包囲された後、ウクライナは再び外交的手段を講じることを決定した。

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 2015年2月12日にロシア、ウクライナ、両「人民共和国」によって調印されたミンスク和平合意「ミンスク2」には、即時停戦および火器の撤去が再び盛り込まれた。その後を政治的解決の時期とした。ウクライナがドネツィク州とルハンシク州の特別な地位を確固たるものとする憲法改正を実施し、その後、両「人民共和国」で選挙を実施することが定められている。選挙の後、ウクライナがロシアとの国境を再び管理下に置くことになっている。

 ミンスク2がミンスク1と大きく違う点は、協議に出席した代表者が首脳だったこと。ミンスク2の協議には、ロシア、ウクライナ、ドイツ、フランスの首脳が出席した(「ノルマンディー4者協議」)。ドイツ、フランスはウクライナ側の、ロシアは両「人民共和国」側の、ミンスク2履行の保証人になった。

ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領、 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、 ウクライナのペトロ・ポロシェンコ、 ドイツのアンゲラ・メルケル首相、フランスのフランソワ・オランド大統領=ロイター通信ベラルーシのアレクサンドル・ルカシェンコ大統領、 ロシアのウラジーミル・プーチン大統領、 ウクライナのペトロ・ポロシェンコ、 ドイツのアンゲラ・メルケル首相、フランスのフランソワ・オランド大統領=ロイター通信

 しかしながら、和平プロセスはミンスク2の後でも空回りし続けた。両「人民共和国」の選挙は当初、2015年秋の予定であったが、いまだに実施されていない。ウクライナの関係者によると、ウクライナ社会にはまだその用意ができていないのだという。「ウクライナ側には現在、ドネツィク、ルハンシクと協議する政治的意志はない」と、国際政治鑑定研究所のエヴゲニー・ミンチェンコ所長は話す。

 衝突については、ミンスク2の後、大規模な軍事作戦は行われていないものの、穏やかな時期と緊張の高まる時期が交互に起こる「平和も戦争もない」おかしな状況になったと、ミンチェンコ所長。

 エフセエフ副所長も、2016年8月末の時点で、1日平均300~350回停戦違反があったと話す。ロシアの独立系新聞「ノヴァヤ・ガゼタ」による軍事境界線からの今夏のリポートによると、両方の当事者がことあるごとに停戦違反を行っており、双方で犠牲者の数が増え続けているという。状況は、専門家によれば、再び戦争へと悪化する可能性があるという。

ミハイル・ソコロフ撮影/タス通信ミハイル・ソコロフ撮影/タス通信

 とはいえ、「ノルマンディー4者協議」およびウクライナ南東部情勢正常化作業部会(ここに加わっているのはロシア、ウクライナ、両「人民共和国」)は、南東部の情勢を解決しようとし続けている。新たな停戦は、ミンスクで作業部会が合意した後の2016年9月1日に発効した。停戦がどれほど確固たるものかは、今のところわからない。

 ウクライナの紛争の解決は、ウクライナの主要な同盟国であるアメリカの参加なしには不可能だと、専門家は考えている。「今日、ウクライナに大きな影響を与えられるのはアメリカだけ」とミンチェンコ所長。エフセエフ副所長は、任期満了を控えるオバマ政権がシリア問題に集中しており、ウクライナ問題で積極的な姿勢を取ることはなさそうだと考える。ミンスク和平プロセスの運命を決めるのは、アメリカの次の大統領になりそうだ。

ドンバス(ドネツィクとルハンシク)

- ドンバス(ドネツィクとルハンシク)がウクライナの一部となったのは、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国が創設された1920年のことである。それまでのロシア帝国が存在していた時代、ドンバスはウクライナ東部の他の地域と同様、主にロシア人の暮らす領域と考えられていた。- ドンバスやウクライナ東部全域でロシア語が広く使われているのは、これと関係している。ウクライナが1991年に独立して以降、この地域の住民は親ロシア的な考え方を持ち、親ロシア的な政党を支持していた。「上からの」ウクライナ語およびウクライナのアイデンティティの強要を、ウクライナ東部の多くの住民が否定的に受け入れている。

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