ロシアの新聞記者の志願兵体験記

AP通信撮影

AP通信撮影

ドネツィク人民共和国のアレクサンドル・ザハルチェンコ首相は8月末、ウクライナ東部で戦う義勇軍の中に、3000~4000人のロシア人志願兵がいると述べた。「RBCデイリー」紙のアレクサンドル・ソコロフ記者は、その実態を調べるため、志願兵と同じ方法でウクライナ南東部に出発した。

 義勇軍に参加するのは簡単。交流サイト(SNS)では文字通り、さまざまな人と交流できる。志願兵として登録するには、ロシアやCISで人気のSNS「フコンタクチェ」の、ドネツィク、ルハンシク関連のグループに参加するだけで十分だ。 

SNSから前線へ 

 SNSの「ドネツィク人民義勇軍(NOD)」のグループには、前線行きを手伝うモスクワの連絡係の連絡先情報がある。NODは、独立を宣言しているドネツィク人民共和国の国防省動員局の、パーヴェル・グバレフ局長の管理下にある組織。これ以外に義勇軍への参加を手伝うSNSのグループには、「新ロシア義勇軍からの報告」がある。アドミニストレータによると、ロシア南部のロストフ・ナ・ドヌ市まで自分で行き、グループの関係者と会い、そこからウクライナ東部に行くという。

 集合場所へ行ってみると、15人ほどいた。多くはすでに迷彩服を着て、リュックを背負っていた。戦闘地域に新入りを届ける自動車には、ウクライナのナンバープレートがついている。運転手と同行者はウクライナ東部の住人。1週間に1回ほど、人員輸送を行っているという。

 「ゲク」、「ラフメト」というニックネームの青年と一緒に自動車でウクライナに向かう。どちらも年齢は25歳以下だ。

 「ゲク」はサンクトペテルブルクの住人で、ロシア海軍沿岸部隊の中尉。軍人一家の出だ。参加した理由は、父方と母方のどちらの曾祖父も第二次世界大戦の時にウクライナ・ソビエト社会主義共和国で戦士した「ソ連の英雄」であること、オデッサの親戚の1人が5月初めに労働組合の建物の中で焼かれて死亡したことだという。親戚に対する責任感が前線へと駆り立てた。

 空軍にいたという若い「ラフメト」は、青いベレー帽をかぶっている。「現代のマリウポリでは、退役軍人が勲章やメダルをつけているとはぎとられる」というニュースを、以前ロシアのマスメディアが伝えていたことを思い出したことが、参加の理由だという。

 今回ウクライナに向かっている志願兵の年齢は主に2035歳。40歳を越えた元軍人もいる。

 国境を越えるのに問題は生じなかった。国境警備兵は持ち物や乗っている者の書類を素早く確認すると、そのまま車を通した。唯一、国境警備兵の若い女性が、「将来の『200』が向かってるのね」と冗談めいた言い方をした。200とは兵士の遺体を入れる亜鉛製の棺「貨物200」のスラングである。

 

いざドネツィクへ

 自動車はドネツィクの義勇軍の基地の1ヶ所に到着した。ウクライナ内務省総局だった建物だ。当直は志願兵の名前をすべてパソコンに入力した。データベースはドネツィク人民共和国の国防省に渡され、その後前線の配属先が決まる。多くが事前に行きたい前線を決めていて、具体的な部隊への配属希望を出す。

 もっとも権威がある部隊の一つと考えられているのが、野戦司令官「モトロル」(アルセニー・パヴロフ氏)の部隊。ドネツィク人民共和国だけでも元国防相のイーゴリ・ストレルコフ氏、イーゴリ・ベズレル氏、コサックの下部組織、「東」、「砦」、「イヌワシ」、「カリミウス」などの大隊がある。それぞれに特徴と、具体的な担当地域がある。

 ニックネームが「スペシャル」という志願兵の一人はこう説明する。「『東』には明確な1日のスケジュールがあって、完全な軍事的下部組織になっている。すべてがあるべき姿になっている。『砦』はよりコサック風というか自由。だからすべてが楽だけど、罰は厳しくなる。酔ったり、乱れたりしてたら、銃で撃たれる可能性もある」

 義勇軍の武器不足は明白だ。1949年に採用されたシモノフ半自動短小銃が多く、PPSh短機関銃まである。ドネツィク人民共和国最高会議のボリス・リトヴィノフ議長によると、ウクライナ軍は圧倒的で兵士の数は5:1(ウクライナ軍445000人に対し、義勇軍1万人)、兵器にも大きな差があるという。

 しかしながら、決意してやって来た志願兵は臆することはない。「スペシャル」は自分がウクライナ東部に来た理由をこう話す。「ここには自分たちの人間がいる。つまりこれは故郷。僕にとって故郷とはソ連領域すべて」

 志願兵の誰もが、無償で参加していると話す。ロシアの特殊部隊出身の志願兵によると、高官のボディーガードのみ給与を受け取っているという。

 

家に帰る時に困難が

 戦闘地域から帰るのは、行くよりも難しかった。止まらない戦闘や爆撃で道路が消滅し、通行できない上に、ここに連れてきてくれた運転手と連絡が取れない。ウクライナ難民がロシアに逃れていることから、こちらをあたってみたが、ルートが危ない。

 そして義勇軍の支配領域経由でロシアに難民を送るバスの運転手を、ようやく見つけることができた。昼の12時に出発して、ロストフに到着したのは翌朝8時。国境検問所を通過するのに2時間かかったが、その間数キロメートルの範囲内で10回ほど爆発があった。 

 

記事全文(露語)