3島対1島

ニヤズ・カリム

ニヤズ・カリム

ロシアと日本の間にさわやかな微風が吹き始めた。ロシアではウラジーミル・プーチン氏が、日本では自民党が政権に復帰し、双方の政権復帰は、両国関係に忘れられていた安定の感覚をもたらしている。ドミトリー・メドベージェフ氏が大統領をつとめ、日本で民主党が組閣した前政権の時期は、二国関係にとって本物の試練になった。

 政治的地震 

 第3代ロシア大統領(メドベージェフ氏)は対日路線を、同氏に欠けているのではないかと疑われていた厳しさと非妥協の姿勢をアピールする方向で選択した。

 メドベージェフ氏は、ロシア国家元首として歴史上初めて、クリル諸島を訪問した。

 日本はそれに対する準備ができていなかったようだ。大使の一時帰国、その直後の帰任、モスクワに対する厳しい声明、生じた効果を緩和させたいとの希望・・・。多くの人が民主党に対し、民主党内閣には説得力ある外交を行うプロフェッショナリズムがないと非難した。

 

 3島返還論 

 民主党が政権に就いた「政治的地震」のあと3年余りが経過し、ゆらいでいた秩序が回復された。1950年代から事実上、変わることなく国を支配してきた自民党が、再び政権の舵取りに就いた。安倍晋三首相はすぐに、領土問題の解決にとりかかる意向を表明した。過去10年で最初となる、日本の首相のモスクワ訪問が検討されている(*2003年の小泉純一郎首相以来――編集部)。

 ロシアに到着した森喜朗首相特使はロシア訪問直前に、「3島返還に同意し、もっとも大きい4つ目の島――択捉島はモスクワに渡す」という独創的なアプローチを披瀝した。

 これは革命的なアプローチだ。日本の公式見解はこれまでどおり、分割するものは何もなく、すべてか、またはゼロなのだから。

 ロシアの立場にも柔軟性が見えるわけではないが(ソ連は1956年以後、問題の存在をまったく認めてこなかったが、エリツィン大統領の時代に、約束ばかりで内容のない会話が進められた)、ウラジーミル・プーチン大統領は、2000年代前半に、取引は可能だということを公に示唆した。しかしこのテーマは閉じられ、両国関係は1990年代の状態に戻った。実際には袋小路に入り込んでいるのに、袋小路そのものが無いと強弁する言葉のトリックだ。

 

 政治的意志と取引 

 森特使の話でもうひとつ注目すべきなのは、領土問題の調整には両リーダーの意志にもとづく努力が必要だという言葉だ。この種の変化は政治的取引によってのみ可能だということは十分に理解できる。

 森喜朗氏は、正しく「問題を提起する」のに適任の候補者だ。自民党の重鎮の一人であり、単に元首相というだけではなく、ロシア国家のトップになったばかりのウラジーミル・プーチン氏が国際舞台に登場した、そのときに森氏は首相ポストにいたのだ。実際、プーチン氏の国際舞台のデビューは2000年夏の「G8(ジー・エイト)」沖縄サミットであり、その議長を務めたのが、まさしく森氏だった。

 

 領土問題に新展開の可能性は? 

 領土問題に何かの変化が生じる可能性はあるのだろうか?

 森氏が述べた案は容易ではない。3つの小さな島の面積が択捉島1つと同じであり、つまり事実上の引き分けだとしても「3島対1島」という表現が話題になるということ自体が、やはりネックになる。おそらくこれは東京では理解されるだろう。しかし提案には、日本が創造的なアプローチができることを意志表示するという別のねらいがある。

 ロシア側からは、同じようなアプローチは、現在のところ、ありそうにない。もし日本が10年前にこのような立場の軟化を見せ始めていたら、当時のウラジーミル・プーチン氏は、自分がロシア政治の全権をもつ主だと感じていたのだから、可能性はもっと大きかっただろう。

 現在では、ロシアの政治システムは安定度がより低くなり、社会の気分に依存する度合いがより大きくなっている。

 したがって、最大限、話すことができるのは、テーマの解凍プロセス、そして、ロシア市民に現在の状態が永遠ではないことに慣れさせるような、長期にわたる敬意表明だろう。

 

 中国ファクターの出現 

 2000年代初頭とちがって、ロシアと日本の議論の局面を本質的に変える、もう一つの要因がある。それは中国の役割と東アジア情勢だ。クリル諸島は、世界のこの部分にある数多くの領土紛争の一つだ。この地域の、事実上すべての大国が、互いに対する要求を持っており、とくに日本と中国はそれによって身動きがとれない状態だ。あらゆる調整は、すでに二国間問題であるのを止めて、別の国々にとっての先例になっていく。またそれは、例えば北京が、いかなる合意も注意深く見守るだろうということだ。おそらく中国は、ロシアと日本が、両国を離間させている主要な障害を取り除くようなことを面白く思いはしないだろう。

 

 フョードル・ルキヤノフ、「世界政治の中のロシア」誌編集長、外交・防衛政策会議議長

Gazeta.ruの記事抄訳