博物館によると、公開されるのは、ニコライ・アレクサンドロヴィッチ・ロマノフ皇太子(後の皇帝ニコライ2世)を襲撃した津田三蔵巡査本人や関係者の調書、大審院の判決書からなる984ページの資料。
ニコライ皇太子は1891年5月11日、琵琶湖岸に位置する滋賀県滋賀郡大津町(現在の大津市)を人力車に乗って移動していた際、突然津田巡査にサーベルで襲撃され、頭部を負傷。巡査は取り押さえられ、持っていたサーベルは取り上げられた。
ニコライ皇太子の傷は致命的ではなかったが、日本国内には動揺が広がり、明治天皇は自らロシアの軍艦に乗って皇太子を見舞った。また見舞い品や、2万通以上の謝罪と見舞いのテレグラムも皇太子に送られた。
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