ウォッカの帝国 その起源

 ドイツ系のロシア人によって設立されたケラー・アンド・K社のウォッカ工場へようこそ。同社は、今日のオブヴォドヌイ河岸通りとザオゼルナヤ通りの交差点にあたる場所で、1863年に創業した。

 ドイツ系のロシア人によって設立されたケラー・アンド・K社のウォッカ工場へようこそ。同社は、今日のオブヴォドヌイ河岸通りとザオゼルナヤ通りの交差点にあたる場所で、1863年に創業した。

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 発端からツァーリの勅命による大量生産に至るまでの、ロシアのウォッカの歴史をご紹介する。
 言い伝えによると、ウォッカの最初のレシピは、イシドールというモスクワ・クレムリンのチュードフ修道院に住む僧侶により1430年に記録された。この飲み物は醱酵させた穀物を蒸留して作られたが、今日のものほどアルコール度は高くなく、40%ABVを超えることは決してなかった。// 試験室。
 1863年とは、女帝エリザヴェータ・ペトロヴナによって1751年に導入された国家独占が、廃止された年でもある。国家が製造するウォッカの市場独占と振興によりこの飲料の人気が高まった一方で、商業の自由化により価格が大幅に低下し、低所得層の市民でも買えるようになった。// 蒸留工程の設備、ケラー・アンド・K社。
 ケラー・アンド・Kは、操業を開始してからわずか4年後に、パリの万国博覧会におけるロシアのアルコール業界の代表として選ばれた。初期の製品には、穀物アルコール、ミント、アニス、オレンジ、イングリッシュ・ビター・ウォッカ、チンキ剤、ドッペルキュンメル、アブサンや「帝国リキュール」などがあった。// ウォッカの瓶詰め作業を行う労働者。
 ケラー・アンド・Kでフルーツウォッカの瓶詰めが行われた部屋。
 1911年、ケラー・アンド・Kはトリノの万国博覧会でグランプリを受賞した。多数の賞を受賞したケラー・アンド・Kだが、この賞が同社にとって最後の主な受賞となった。皮肉なことにこの賞の後、第一次世界大戦の初めに、ロシアで禁酒法が導入された。//  ワインセラー。
 今日の人気の飲み物を指す「ウォッカ」という言葉は、国家が製造を独占し始めた1751年まで使われていなかった。「ウォッカ」は、スラヴ語で水を意味する「ヴォダー」の指小語である。この単語は元々、最高75%のアルコールを含む医療チンキを指す言葉だった。// カラシニコフ河岸通りの第1国営ワイン貯蔵庫で行われた梱包準備のワークショップ。
 1892にはケラー・アンド・Kは首都モスクワだけでも5店舗を運営するようになり、その製品は海外でも販売されるようになっていた。// 市場に出荷前にボトルにラベル付けをする女性たち。
 帝政時代のロシアでは、アルコール税からの収入が政府歳入の4割を占めていたことをご存知だろうか? 第1国営ワイン貯蔵庫の経理事務所。
 第1国営ワイン貯蔵庫の食堂で昼食を待つ労働者たち。ピーク時にはケラー・アンド・Kは約380人を雇用していた。
 これらの女性の責務は第2国営ワイン貯蔵庫の​​衛生管理だった。
 今日、ウォッカは、ロシアで消費されるアルコール総量の約70%を占めている。// 第4国営ワイン貯蔵庫で完成品の梱包を行う労働者たち。もっと読む:ロシアの乾杯の音頭いろいろ>>>