立体写真展示会「アイ・トゥ・アイ」

モスクワのマルチメディアアート博物館が企画し、工業技術博物館が協賛する展示会「アイ・トゥ・アイ」は、立体写真の歴史の中からさまざまなエピソードを紹介し、現代の来訪者は、歴史的出来事の順序を独自に再現することができる。その中で、19世紀に最も人気を博した余暇活動のひとつである立体写真は、洗練された現代の閲覧者の興味にも値することを教えてくれる。// 撮影者不明、ドストエフスキー原作『おじさんの夢』の一場面。19世紀後期〜20世紀初頭。チント色の鶏卵紙

モスクワのマルチメディアアート博物館が企画し、工業技術博物館が協賛する展示会「アイ・トゥ・アイ」は、立体写真の歴史の中からさまざまなエピソードを紹介し、現代の来訪者は、歴史的出来事の順序を独自に再現することができる。その中で、19世紀に最も人気を博した余暇活動のひとつである立体写真は、洗練された現代の閲覧者の興味にも値することを教えてくれる。// 撮影者不明、ドストエフスキー原作『おじさんの夢』の一場面。19世紀後期〜20世紀初頭。チント色の鶏卵紙

MAMM collection
モスクワのマルチメディアアート博物館が企画し、工業技術博物館が協賛する展示会「アイ・トゥ・アイ」は、立体写真の歴史の中からさまざまなエピソードを紹介し、現代の来訪者は、歴史的出来事の順序を独自に再現することができる。
今日、三次元画像は日常生活の一部となっている。映画館で3D映画を観たり、 3Dのイラスト入りの雑誌を購入したり、3Dの手法を印刷・造形やウェブデザインに採用したりと、三次元画像は、あたかも現代技術の成果であるかのようにみなされている。しかし、その歴史は2世紀近く遡ることができる。三次元画像の視覚効果は、1830年代以来鑑賞者たちを魅了してきたのだ。// 撮影者不明、Underwood &Underwood出版社、「初級地理コース」シリーズ、硫黄の蒸気ごしに覗いた阿蘇山のクレーターの眺め、日本、1900年代、鶏卵紙
技術の変遷にもかかわらず、三次元写真の作成方法の基本的な原理は変わっていない。これには、左目で見た画像と右目で見た画像に対応する同じ対象の写真を2枚撮影する必要があり、これを同時に見つめると、1つの融合された立体写真になる。//  ザハール・ヴィノグラドフ、「ロシアの生活と自然:ヴォルガ川とヴォルガ流域」シリーズに所収の、メロン畑のかかし、1913年。銀塩印画紙
鑑賞方法は、より大きな変化を遂げた。立体鏡をのぞき込む方法では鑑賞者と画像という一対一の鑑賞しか成り立たないのに対し、スクリーンと3D用の特殊メガネを使用することで、集団での鑑賞が可能になったからだ。// 撮影者不明、Neue Photographische Gesellschaft株式会社、ベルリン、シュテグリッツ。カフカス、ピャティゴルスク 公園。1906年、銀塩印画紙
大衆へのアピール度が極めて高かったため、立体写真が美術作品の地位を確立することは決してなかった。立体写真の鑑賞において特異なことのひとつは、撮影者が通常は匿名のままであったことだ。//ザハール・ヴィノグラドフ、「ロシアの生活と自然:ヴォルガ川とヴォルガ流域」シリーズに所収の、ヴァシルスルスクの下流の砂州、1913年、銀塩印画紙
主要な役割を果たしたのは写真家ではなく、立体写真カードを発行した会社であった。米国、英国、日本とカナダでは Underwood & Underwood、スウェーデンでは共同出資会社Granberg in Sweden、ロシアではソビエト立体写真出版社などが挙げられる。// トマシュキェーヴィチ I. R. 「クラスノヤルスク近くの岩の柱の上で」、クラスノヤルスク地方、1890年代、銀塩印画紙
立体鏡付きのセットまたは立体鏡なしで販売される立体画像や特別選集版の画像処理と大量生産は、特に収益性の高い事業となっ た。// 撮影者不明、共同出資出版社 Aristophot、森、「カフカス」シリーズ、19世紀後期〜20世紀初頭、銀塩印画紙
商業的に事業が成功した当初の立体写真は、2つの対立する目的を果たしていた。一方で、立体写真は科学的知識の領域に含まれた。 医学、地理学、天文学やその他の科学分野で、視覚教具として新たな種類の画像を利用することができるようになった。// 撮影者不明、Underwood & Underwood出版社、「初級地理コース」シリーズに所収の、ナイアガラの滝、米国、1900年代、鶏卵紙
立体写真には現実を引き立たせる効果があるため、それぞれのオブジェが閲覧者の吟味に十分応えられるようになった。かつては抽象的であったあらゆること(月の満ち欠けと潮汐の関連など)に実体感が与えられ、立体鏡で観察できるようになった。// 撮影者不明、Underwood & Underwood出版社、「静寂と太陽の光線の中、穏やかに暮れる黄金色の秋の日」日本、1896年、鶏卵紙
3D写真は、画期的な大変革や、外界への到達や接触の機会を予期しながらも前進できなかった19世紀人類の生活において、その不可動性を補う役割を果たしたようだ。立体写真は、周囲の環境を記述し、それを組織的に記録するという、19世紀の多くの科学者が抱く熱望を実現させる努力において、不可欠なツールとなった。//撮影者不明、活人画、「ついたての傍の女の子たち」、19世紀後期〜20世紀初頭、チント色の鶏卵紙
その中でも特に特徴的なのは、ロシア人写真家ザハール・ヴィノグラドフによる立体写真シリーズだ。彼はロシア帝国各地への数多くの探検に出かけ、高度に詳細な写真を撮影したが、その多くは立体写真カメラで撮られたものである。//ザハール・ヴィノグラドフ、「ロシアの生活と自然:ヴォルガ川とヴォルガ流域」シリーズに所収の、ヴォルガ川の春の洪水によって氾濫した木々」、1913 年、銀塩印画紙
立体写真は、20世紀初頭になると大人気を博し、徐々に新たな表現法が確立されることを可能にした。現代の立体画像には引けを取るが、立体写真は閲覧者に、我々が3D画像を知覚するの際と同じ独特な体験をもたらした。今日、別の世界に簡単に入り込んだかのようなこの錯覚は、恐怖 を感じさせながらも目を離させない迫力で、再び閲覧者の興味をそそらせている。// 撮影者不明、噴水の眺め、ロシア。19世紀後期〜20世紀初頭、鶏卵紙