スイス人のポジエは小さい頃にロシアに来た。一説によれば、ピョートル大帝の時代の宮廷で専属外科医となっていた親戚の招待で、父と一緒に歩いてサンクトペテルブルクに来たという。父はやがて亡くなり、ジェレミーはフランス人のダイヤモンド研磨工ブノワ・グラヴローに弟子入りした。
ポジエには21歳の時にすでに自分の工房があり、四半世紀にわたり、宮廷、貴族に仕えた。ダイヤモンドが散りばめられたタバコ入れ、バックル、ブローチ、勲章、女性の髪結い用のピン以外に、ポジエはそれほど裕福ではない発注者にもより安い装飾品を制作していた。宝石の一部をカラーの敷フォイルのあるカットガラスに代えていたが、宮廷では誰にも違いが気づかれないほど巧みであった。