しかし「眠れる森の美女」でプティパは72歳という年齢でも革新的な作品を
作り出せるということを証明した。共同制作者となったのは、当時、栄光の絶頂にあり、多大なる尊敬を集めていたピョートル・チャイコフスキー。
「白鳥の湖」が失敗に終わったチャイコフスキーはバレエの作曲から遠ざかっていた。一方、サンクトペテルブルグ帝室バレエ劇場のイワン・フセヴォロシスキー総裁は華やかな夢幻劇を制作するというアイデアに夢中で、また彼は2人の天才の作品を一つにするに十分なエネルギーを備えていた。共同作業は容易なものではなかった。プティパは上演時間4時間に及ぶバレエの構成を詳細に書き出し、作曲家に対し、音楽の雰囲気、テンポ、各章の拍数に至るまでを細かく指示するオーダーを出した。しかしチャイコフスキーはこのような制約に逆にインスピレーションを感じた。そして「眠れぬ森の美女」はチャイコフスキーの傑作と一つとなった。