ソ連ではキャビアをスプーンで食べていたというのは本当か?

V.Kaushanov/Sputnik
 前世紀、ソビエト国民はキャビアを食べることを躊躇しなかったが、時間が経てばそれが選ばれた少数の人だけが許される楽しみになるとは思いもよらなかった。

 今日キャビアは高価な珍味とみなされており、誰もが買えるわけではない。ウラジーミル・モティル監督の有名なソ連映画「砂漠の白い太陽」(1969年)では、主人公はしぶしぶ巨大なボウルから大さじ1杯のキャビアを食べる。それにキャビアにとてもうんざりしていて、その「いまわしい」ものを毎日食べることはできないと憤慨している。この映画はソ連国内のキャビアの90%が採られていたカスピ海沿岸で撮影された。

映画「砂漠の白い太陽」(1969年、ウラジーミル・モティル監督)

 これは単に漁場に近かったからということではなく、1920年代半ばから1980年代初頭までソ連にはキャビアが豊富にあったということである。すべてはどんどん繁殖するチョウザメ類の魚のおかげだった。1929年末ソ連は約800㌧のキャビアを輸出し、今日の為替レートで10億ドルを受け取っていた。キャビアはソ連の主要輸出品の10品目の1つであった。

 ソ連の一般人は給料を散在することなくキャビアの瓶を買うことができた。しかも小さい瓶でないものでも。店ではキャビアは量り売りされており、多くの人は両親が持って帰ってきていた3㍑のキャビアの瓶を覚えている。

 ソ連の小児科医は鉄分とミネラルの貴重な供給源として、貧血を防ぐために幼い子供たちにキャビアを食べるよう勧めた。大祖国戦争中およびその後は潜水艦乗組員、パイロット、極地探検家の食糧に加えられた。

カスピ海キャビア生産協会

 ソ連時代のキャビアの価格は手に届くものだった。1950年代にはキャビアの価格はイクラのわずか2倍だった。また1970年代後半にはキャビアの小さな瓶の価格は4.5ルーブルで、これはウォッカの瓶1本と同じだった。

 キャビアの豊富な生産は1980年代に幕を閉じた。密猟、チョウザメの数の減少、そしてその後の漁業禁止により、ほとんどのロシア人にとって事実上キャビアは手の届かないものになってしまった。

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