ソ連時代の水着(写真特集)

Jacob Berliner/Sputnik
 暑い季節といえば、ビーチファッションのシーズンである。そしてソ連も例外ではなかった。男性用の短パンのような水着から驚くほど大胆なビキニまで、ソ連のごく普通の女性たちがどんな水着を着ていたのか紹介しよう!

1920年代〜1940年代 

 ほとんどの場合、この時代の女性たちは、Tシャツを縫い直したような(実際そうした人もいた)つなぎの水着を着ていた。セパレートタイプのものであっても、上も地味なもので、下はというと、必ずおへそが隠れるような長さの短パンのようなものであった。しかし、そんなピューリタン時代にも、もう少し露出度の高いものを身につける人もいた。

1950年代

 1950年代から、ソ連の水着は単なる布の切れ端ではなく、ファッションの一部となった。ファッションに気を遣うソ連の女性たちは西側のデザインを真似て、自分たちの水着を作るようになった。最初のビキニが登場したのもこの時期である。

 しかし、ビキニを着るような勇敢な女性はそれほどおらず、普通は、女優やボヘミアンの代表たちがビキニを身につけているだけで、ビーチではまだつなぎの水着が大半であった。またファッションに気を遣わない人たちは、普通のメリヤスの下着で日光浴を楽しんだ。

1956年

1960年代

 水着はまだまだ不足していて、ウエストが高い位置にある「レトロ」タイプの水着は1980年代まで人気があった。しかし、「雪融け」時代の影響はビーチにもおよび、ストラップレスブラをつけて首や肩を灼く女性たちも増えた。

1960年
1963年
1964年
1966年

1970年代 

 1969年に、「ダイアモンド・アーム」という映画が公開されたが、その中で女優のスヴェトラーナ・スヴェトリチナヤのヒロインが露出度の高い水着を着て、人々を驚かせた。それはおへその見える、腰の低い位置で履くタイプのパンツになっていたのである。この水着はすべての観客は魅了され、このモデルの水着はたちまち女性の憧れとなった。

 さらにこの頃、高価で、とびきりおしゃれな西側の水着を買うことができるようになった。こうした外国製の水着はお店では買うことが出来ず、ファルツォフシクと呼ばれる人々から直接手に入れなければならなかった。 

1970年
1975年
1975年
1975年

 1980年代 

 ペレストロイカを機に、女性の体に対する保守的な見方は完全に変化した。年々、水着は露出度を増し、ますます派手になっていった。ソ連でもビキニが当たり前のものになったのである。

 まもなく、ソ連の市場も解放されるようになり、まずは中国のさまざまな商品が入ってくるようになった。ビーチファッションは地域性を失い、ロシアの女性たちも西側で流行しているものを喜んで着るようになった。

1983年
1984年
1984年

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