このロシア人たちはこのゾンビの黙示録の中で生き残る方法を知っている

Getty Images, 個人アーカイブ
 彼らは何年にもわたって薬や必要な品を蓄え、独自の避難所を持ち、どこからでも、たとえコンドームからでも火を起こす方法を知っている。このような準備のおかげで、彼らにとってこの蔓延はひどいものにはなっていない。

アンドレイ・イェルモソフ、47歳、船舶修理工場の鍛冶工兼機械組立工、セベロドビンスク(モスクワから987キロメートル)

 少年時代、私はいつもスパイ、狙撃兵、破壊工作員といった様々な軍事分野に興味を持っていた。これらに付随して、サバイバルの問題にも興味を持つようになった。

 20年前、私は白兵戦に加わることになった。実際、まさに私が参戦した戦いは、生き残ることが重要である極端な状況だった。したがって、そこでの戦術としては、互いに「ぶつかり合う」ことが目的ではなく、敵側を無力化することを目的としていた。これに平行して、黙示録の日が来てしまったときとても重要になる品を集め始めた。

 現在、私はマッチ箱1000箱、ろうそく100個、包帯100本、折りたたみナイフ10本、懐中電灯数本を持っている。私の倉庫には灯油ランプと石油コンロ、研がれた壕を掘るためのスコップがあり、鉄製の斧がコンピューターのシステムユニットの後ろでほこりをかぶっている。また、私はいつも数セットのミシン針を携帯している。

 コロナウイルスに関するニュースで、私は徐々に穀類と水フィルターの供給を補充し始め、少しずつ灯油燃料を購入した。

 放射性物質を扱うためのルールを現在の状況に適応させている。つまり、感染源からできるだけ離れている必要があるのだ。だから、家にいなければならない。

 時々外に出るが、通常のマスクに加えて、目の粘膜にもウイルスが侵入する可能性があるため、目にもマスクをつけている。私は時々服の上にプラスチックのレインコートを着て出かけ、外に行くたびにバスルームでレインコートを洗浄した。

 今、本当に健康について心配する必要があるのだ。コロナウイルスの蔓延のピークはまだ過ぎておらず、死体を載せたトラックがすぐに私たちの目の前に現れるかもしれない。しかし、我が国は他のどの国よりも生き残る準備ができているようだ。私たちには、独自の石油や天然ガス、食糧、そして究極的にはそれらの備蓄を守るための独自の戦力もある。

アンドレイ、33歳、街頭広告の組立工、クラスノダール(モスクワから1195キロメートル)

 10年前のことだ。 私がこのサバイバル生活をするという趣味に突き動かされたきっかけは、はっきりとは思い出せない。どういうわけかこうなったのだ。どんな状況でも何でもできる本物の男というイメージに合う人間になりたかったのだ。

 20歳の時、可能な限りキャンプに行くということを自分の課題に設定した。このことは自分を鍛え、技能を身に付ける手助けになる。キャンプ中、私は常に新しい装備をチェックし、大きな荷物を運ぶトレーニングをし、キャンプを自分でセットし、火をつけ、水と食べ物を探す。

 普段の生活では、外に出るとき、いつも折りたたみナイフと懐中電灯を持っている。建物に入ると、すぐに避難路を探し、それを思い出そうとする。何かの場合には、最寄りの消火器がどこにあるかを調べている。

 「非労働月」[3月23日にロシアで導入された自己隔離体制のこと]について知り最初にやったことは、私物をすばやくまとめて街を離れたことだ。私には蔵のある小さな別荘があり、中には缶詰や漬物が保存されていて、近くには釣りをする川もある。私は田舎に家を持っている人全員に、食べ物を買って町から離れるように助言したい。この状況がどれくらい続くかは分からない。

ヴィクトル・バルニン、37歳、マッサージ師、サマーラ(モスクワから853キロメートル)

 私が子供の頃にはスマートフォンはなかった。何か楽しめるものを探して、私はサマーラ州(モスクワから1000キロメートル)の両親の家の近くにあるあらゆる渓谷をいつも登り、常に擦り傷や引っかき傷を付けて戻ってきた。青年期には、一種のサバイバルチュートリアルから、指示に従って防水マッチやペットボトルからロープを作った。この後ナイフの魅力に取りつかれた。最初は収集し、その後研磨をした。

 18歳のときに、災害時に備えて「非常用」のスーツケースを詰め始めた。ナイフ、替えの下着、暖かいジャケット、食料、水、ナイフ、マッチ、書類のコピー、お金、通常の救急箱、懐中電灯、衛生用品を詰め込んだ。このようなものを詰めたバックパックがないと、裸になった気分になるので、長年外出する際に携帯してきた。

 私は地元の大学で冶金技術を勉強したが、よくサボっていた。代わりに、火打ち石、綿、コンドーム、氷、ペットボトルなどを使って火を点ける方法を学んだ。また、勉強で、救命と潜水を学んだ。

 妻は結婚式の前から私の趣味に忠実だった。しかし、会った最初の日に私が彼女の両親に防毒マスクを与え、生存のための合同訓練を実施することを申し出たとき、彼らは驚いていた。そして、彼らは私の申し出を丁寧に拒否したのだ。

 しかし、妻と子供たちと一緒に4年間にわたって、年に数回「避難訓練」を実施してきた。私は彼らを朝起こし、一緒に必要なもの(替えの下着、暖かい衣服、書類、お金)を全部バックパックに入れ、車に乗り込み、森に向かう。そこには川があり、準備しておいたゴムボートで、私たちは反対側の岸に行き、そこから徒歩で私たちの別荘まで歩く。そこには、食料、薬、武器のストックなど、必要なものが全部ある。トレーニングをすることはあまりないので、子供たちはこれを冒険だと思っている。

 今も私たちは街にいるが、「食糧不足」の暴動が始まったときは、すぐに全てから離れた田舎の家に逃げ込むつもりだ。

  また、8年前、サバイバルグッズを販売する小さなオンラインストアをオープンした。買ってくれる客は少なかったが、コロナウイルスのニュースが出てきたので、すぐに防毒マスクとナイフが全部売れた。

 おそらくすぐにナイフが必要になると思っている。不法労働している人(RIA Novosti のデータでは、2019年にロシアで非公式に雇用された人は1300万人、または国の総労働力の18%いると言われている。編集者注)の多くは、現在失業給付を受け取ることができず、賃金も失った。近い将来何も変化がなければ、これらの人々がスーパーマーケットを襲うようになるかもしれない。

 さらに、大小のグループやコミュニティに分かれて、市民がお互いに戦争を始めるだろう。無政府状態の味を占めた凶悪犯、物資が集まってくる領域を占領するグループなどが現れてきて、どんなゾンビよりもひどい虐殺を始めるかもしれない。

 コロナウイルスの場合も、他のシナリオの場合も、国家を頼るのは価値がない。ソビエト連邦の時代には、私たちは生命安全の基礎についての授業を受け、小学生は頭を測定してマスクと防毒マスクのサイズを計算した。また、倉庫を構築し、貯蔵食品を入れた。では、今は?自問してみよう。子供が勉強している学校の倉庫の状態を知っているだろうか?これが答えだ。

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