ロシア人はなぜ、そしていかに髭を埋葬したか?

ヴァシリー・ペロフ、「ニキータ・プストスビアト。 信仰告白に関する論争」、1880〜1881

ヴァシリー・ペロフ、「ニキータ・プストスビアト。 信仰告白に関する論争」、1880〜1881

A. Sverdlov/Sputnik

 ピョートル大帝(1世)がロシア貴族に髭を剃り落とせと命じると、多くの年配の名門貴族や公が絶望に陥った。彼らの髭は、高貴さと男らしさの象徴だった。

 ロシア人の中には、切り落とした髭をしまっていた人もいた。死んだら、髭といっしょに埋葬されて、「剥き出しの顔」で全能の神の前に出ないで済むように。

 こういうことをしたのは貴族だけではなかった。1703年にロシア南西部のヴォロネジで勤務したイギリスの海軍技師ジョン・ペリーは次のように記している。地元の大工は、ひげを切るように命じられて、切ったそれを保存していた。

「後でそれを棺に入れて、彼自身といっしょに葬られるようにと。そうすれば、彼はあの世で、事の顛末について聖ニコライに申し開きができるわけだ」

 名門貴族イワン・アレクサンドロヴィチ・ナルイシキン(1761~1841年)の一家は、ある箱を保管していた。そのなかには、長い灰色の髭が、十字が刺繍された絹のクッションの上に置かれていた。おそらく、その髭は、17世紀に生きたナルイシキンの先祖の一人のもので、本来は埋葬されるはずだった。しかし、ある理由でそうはならなかった。そして、その髭は、一家に伝わる遺物となった。それについては言い伝えがある。

 一家の信じるところによれば、その髭は、放浪無宿の「聖なる愚者」、ユロージヴイ(佯狂者〈ようきょうしゃ〉)のものだった。イワン・アレクサンドロヴィチの祖母アナスタシア・アレクサンドロヴナ(1700~1773)が祈っているときに、彼は現れたという。彼女に自分の髭を与えて、この「聖なる愚者」は予言した。

「この髭が一家に保管されているかぎり、家系は、途切れることはなく、正教を信奉し続けるであろう」

 しかし、イワン・アレクサンドロヴィチは、ある引っ越しの際に髭を失くしてしまった。たぶん、彼のペットのネズミが髭を食ったのだろう。彼はネズミを、髭の入った小箱と同じ長持にうっかり入れてしまったから。

 いずれにせよ、19世紀にイワン・アレクサンドロヴィチの男系は本当に断絶し、彼の孫娘たちは正教からカトリックに改宗している。

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