コサックのイワン・モスクヴィチン
それは1639年のことだった。ロシア人入植者たちは、シベリアと極東を精力的に探検し、レナ川とアルダン川(レナ川の右支流)の岸辺に定住するようになり、やがて、現在のヤクーツク市に要塞を築いた。太平洋岸まではあと約400キロメートルだ。
コサックのアタマン、ドミトリー・コプイロフの求めにより、イワン・モスクヴィチン指揮する部隊が東に向かった。彼は新しい土地を探検し、途中で遭遇した先住民にヤサク(現物税)を課し、銀の鉱床も探さなければならなかった。
さらに、コサックたちは、東のどこかにある「大きな海」についての噂の真偽を調べるように指示された。モスクヴィチンは、9月初めにこの任務を無事に果たした。つまり、彼の部隊は、ウリヤ川に沿って海まで辿り着き、それは、後にオホーツク海と呼ばれることになる。
ここにコサックたちは、名前のない砦、つまり小さな臨時の砦を築いた。まさにここが、極東におけるロシア人初の入植地となった。
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