写真提供:Izbenka
ウェブサイト「イズビョンカ」の掲示板には、Andrey.Krivenkoというユーザーがおり、最多投稿者ではないものの、もっともエモーショナルである(実は社主のクリヴェンコ氏その人)。あるサイト訪問者が、Andrey.Krivenkoはチェーンのあらゆる商品について自慢げに話すが、自分で食べたこともないのだろう、と書きこんだところ、すぐにイズビョンカの乳製品で満たされた、自宅の冷蔵庫の写真を投稿した。37歳のクリヴェンコ氏には4人の子供がいるため、乳製品なしには生活できない。
わずか3年で国内最大の乳製品販売チェーンを築き、2012年9月時点でモスクワ市とモスクワ市郊外には販売店140店舗を所有した。どの店も月3万ドル以上販売しており、年間売上高は5700万ドル(約55億円)以上となっている。
経済危機後に脱サラで起業
金融危機が起こった2008年、クリヴェンコ氏は大手海産物卸売業者「アガマ・トレード」の経理部長の仕事を辞めて無職になった。自分の貯金3万ドル(約290万円)、毎月の住宅ローン3000ドル(約29万円)という状況で生活していかなければならなくなったが、仕事は見つからなかった。職探しをあきらめ、自分の会社を設立し、保存料や旨味調味料の入っていない食品の生産を確立し、スーパーの一画(5平方メートル)を借りて、自社テナントで販売を始めることにした。
まず始めに、乳製品生産技術者を募集し、ドミトリー・コズィレフ氏を見つけた。クリヴェンコ氏が払える給与は800ドル(約7万7000円)ほどだったが、ビジネスは勢い良く伸びるとコズィレフ氏を説得した。二人で生産・供給業者を探してみたが、見つけるのは容易ではなかった。モスクワ郊外の大手生産者は主に粉乳から乳製品をつくっており、小さな買い手のために技術の入れ替えを行うことなど、誰もしたがらなかった。
カルーガ州に生産元を発見
クリヴェンコ氏は加工業者50社あまりを訪問し、ようやくモスクワ市の南西180キロメートルに位置するカルーガ州の、小さなコンビナート「サプク・モロコ」を見つけた。サプク・モロコは運良く新しい工場を建設したばかりで、販売チャンネルを探しているところだった。5平方メートルのテナントの賃貸料は月530ドル(約5万1000円)、業務用冷蔵庫の購入費は650ドル(約6万2000円)と、最小限のコストで何とか事業を始めることができた。
イズビョンカ1号店の販売商品は、サプク・モロコの商品6種類だけだった。またサプク・モロコの従業員は、手でイズビョンカのシールを包装袋に貼っていた(その後ロゴを印刷した包装袋を調達するようになった)。流通はクリヴェンコ氏自身が行い、朝3時に起きて、6時にカルーガ州の工場に到着し、9時に店に商品を並べ、昼は新しい販売スペースを探したり、商品流通状況をパソコンに入力したりしていた。
3ヶ月以内に新たに3店舗を開店したが、2店舗は赤字で倒産しそうになった。クリヴェンコ氏は市場に店を置けばたくさんの買い手が訪れると考えて開設したものの、そういった場所に来る人々にとってもっとも重要なのは価格だった。それほど知られていないイズビョンカの牛乳の値段は1リットル1.5ドル(約140円)で、テレビで大々的に宣伝されているブランド牛乳よりも高かったのだ。
借り入れなしの自転車操業で大成長
住宅ローンを抱えてから借金に恐怖感を持っているため、会社拡大は自己資金で行っている。このような事業モデルが機能するのは、2つの条件が整った時だ。それは新店舗の開店費用が少なく、勢い良く黒字になることだ。イズビョンカは新店舗の開店に3000~5000ドル(約29~48万円)を費やした。平均店舗面積を5平方メートルから10平方メートルに拡大したため、現在はその費用も1万ドル(約96万円)になっている。
店舗はすべて賃貸、運送は外部委託しているため、クリヴェンコ氏の会社には資産もない。すべてが増え続ける現金資金で維持されている。「何のために倉庫を買う必要があるのか。それを銀行に担保として預けて、他の倉庫の建設費用として借金するためならいらないね」とクリヴェンコ氏。
だがこういった戦略は自転車操業だ。イズビョンカは利益をすべて新しい店舗に再投資しながら、供給業者の資金で発展している。販売が落ちれば資金不足に陥るが、資産がないため借り入れはできない。
そのためクリヴェンコ氏は、乳製品以外にも他の保存料や旨味調味料の入っていない食品を販売する、「フクスヴィッル」という新しい店舗を開店し、新事業を展開した。2~3年以内にこのチェーンを200店舗規模に拡大する予定だ。
*記事全文(ロシア語)
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