ワシリー・アクショーノフが『ニュー・スイート・スタイル』を刊行した1990年代後半の頃、私はワルシャワに在住していた。
私は、この小説の主人公で、 歌手、作曲家で劇作家のアレクサンドル・コルバッチに多大な感銘を受けた。モスクワで大旋風を巻き起こした反体制派のお気に入りで、体制派の悩みの種だったコルバッチは、ニューヨークでは無名だった。
帰化した土地に居場所と見つけ自分の声を発すること
「60年代人」(シェスティディシャートニキ)の一人として、実際に1960年代の反体制文化を代表する理想主義者であったアクショーノフ自身が何を感じていたのか、私には知るよしもない。しかし、自分が選んで帰化した土地に居場所と見つけ自分の声を発することを切望することがどういうことかは知っていた。
この本は、ニューヨークの空港でアレックス・コルバッチがスーツケースを受け取るところから始まる。
「ああ、こうしてここにあるのは使い古された小さな スーツケースだが、どういうわけか愛おしく感じられる。事のいきさつの核心はつまりこういうことだ。どこかで誰かが大きな動物を殺し、その獣皮を使って ラトビアでケースを作った。こうしてスーツケースからあらゆる「獣らしさ」が失われ、それは郷愁を誘う物体へと変貌したわけだ。そのケースはヒンドゥー教 徒の荷物にぶつかると、横に倒れた」。
物事をおもしろがることを学んだ人
アクショーノフは、国外在住者の人生というものは、当初は困難ばかりで、乗り越えなければならないことがたくさんあることを私に教えてくれた。
モスクワに引っ越すまでは、なぜワシリー・アクショーノフが物事をおもしろがることを学んだのか、私には理解できなかった。しかし彼の憂鬱が何 に由来するものなのかは知っていた。
彼の両親は、2人とも強制収容所で18年間を過ごした。作家、ジャーナリストであった彼の母エフゲニア・ギンズブルグは、『旋風へ』という心を揺さぶる回想録を書いている。アクショーノフ自身は、ほぼ年間を通じて凍結し孤立した海港の町マガダンで、母親と再会するまで孤児院で生活した。
我が子を師事させたかった
アクショーノフは2009年に亡くなったが、私は彼がまだ生存中でいてくれたら、と願わずにはいられない。バージニアのジョージ・メイソン大学でまだ教鞭 を執っていたら…、と。
そうすれば我が子を彼に師事させ、絶望の中でも愛と笑いと誠実さを失わず、毎日、その日が人生最後の日であるかのように服を着ることを学び、自分が選んだ国で困難を克服することを学べただろう。
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