聖火ランナーたちの回想

ソチ冬季五輪の聖火はオリンピック史上もっともスケールの大きなロシアの聖火リレーのクライマックスとなった=ロシア通信撮影

ソチ冬季五輪の聖火はオリンピック史上もっともスケールの大きなロシアの聖火リレーのクライマックスとなった=ロシア通信撮影

11月9日、2014年2月に開催されるソチ冬季五輪の聖火は、宇宙を目指し、オレグ・コトフとセルゲイ・リャザンスキーの両飛行士は、聖火を掲げて国際宇宙ステーション(ISS)の船外へ出たが、これは、オリンピック史上もっともスケールの大きなロシアの聖火リレーのクライマックスとなった。聖火は、ISSのほか、欧州最高峰のエルブルス山の頂やバイカル湖の底を通り、聖火リレーには、およそ1万4千人が参加した。ロシア各地の聖火ランナーたちの声をお届けしよう。

リュボーフィ・ジャデチコさん、ロモノーソフ 

 1980年、モスクワ五輪の前に、私は、聖火ランナーのエスコートに参加しました。今の聖火リレーでは、スポーツ選手らしさや特別の準備などは必要ありませんが、当時は、選考が厳しく、私たちは、800メートルを走ったものでした。しかも、上り坂を。

 1980年に、私は、トゥーラで聖火を迎えました。とてもどきどきしましたね、人が大勢いて。もちろん、テレビの技術は今とは違い、たとえば、聖火がまだ運ばれてこないうちから、もう私たちが撮影され、小旗が配られたりしていました。どうやら、あらかじめ観衆を撮影しておき、それから聖火に集中するためのようでした。当時は、聖火が、途切れることなく運ばれ、ロシア全土ではなくモスクワへの途上にある町だけを通っていきましたが、今は、もっと庶民的で人々により身近で、事実上すべての人が聖火リレーに参加できます。

 

スタニスラフ・ロマノフさん、ペトロザヴォツク 

 私は、自分が選ばれるのを4ヶ月待っていました。私は、身体障害者で、チェチェンで脊椎を損傷しましたが、今は、スポーツに取り組み、アーチェリーを専門にやっており、パラリンピックのロシア代表に選ばれています。聖火を運ぶことは、私にとって、とても大切な出来事です。ペトロザヴォツクでは、身体障害者は、家に閉じこもりがちで、人々にあまり知られていません。私は、自分たちには、多くのこと、ときには健常者もできないようなことができる、ということを示したかったのです。

 リレーはとてもすばらしく、全身に鳥肌が立ちました。他の人から聖火を受け取ったとき、私は頭の中が真っ白になり、聖火が私を前へ運んでいってくれました。後になってようやく、自分がオリンピックの聖火に触れ、世界一長いリレーに参加できたことを実感しました。聖火が消えやしまいかと心配でしたが、大丈夫でした。もしも、モスクワのときのようにそんなことになり、オリンピックの聖火ではなくライターの火を運ぶことになったら、やりきれませんもの。トーチは、もらうことができず、12800ルーブル(約3万8400円)で売られ、買った人もいましたが、それが、今はインターネットを通して30万ルーブル(約90万円)で売られています。これからもっと値が上がるでしょうね。

 

アレクサンドラ・アリモワさん、スモレンスク 

 私は、テレビの広告で聖火ランナー募集のことを知りました。下の娘がまず応募し、それから、上の娘が私も応募するよう勧めました。私は、身体を動かすのが好きで、週末ごとにスキーをし、毎年「ロシアのシュプール」という競技会に出場し、健康的な暮らしをしていますから。私にとって聖火を運ぶことは、たいへんな名誉です。それは、個人的なちっぽけな名誉ではありません。私は、記者もカメラもない田舎道だって誇りをもって聖火を運んだことでしょう。

 

ヴァレリヤ・フィリッポワさん、アルハンゲリスク 

 聖火を手に走るのは、忘れえぬ体験でした。まさに感動の渦! でも、マイナスの面もありました。足もとは滑りやすく、トーチはずっしり重く、聖火係の人たちは私をせきたてるのでしたが、何よりも驚いたのは、そのことかもしれません。聖火を運ぶ人たちはほとんどみんな歩いていましたが、私は全力で走ることに…。それでも、ひじょうに幸せでした。大雪と吹雪をついて走り、通りは暗くて寒かったですが、とてもたくさんの人がいて、友人や親戚、さらには、知らない人たちまで、私を応援しに来てくれたのです。

 聖火リレーのために市内の通りが閉鎖されることに不満を抱く人も大勢います。アルハンゲリスクでも、市の中心部の二つの通りが閉鎖されたため、何キロメートルにもおよぶ渋滞ができてしまいました。運営上は他の通りを使ったほうがよかったかもしれませんが、やはり市の中心部の美しい場所を走るのはいいものです。

 

ヴィクトリヤ・プリキナさん、スィクティフカル 

 私が走った区間は、あまり人がいませんでした。すでにリレーの終盤で、中心部の通りや広場ほど人出はありませんでしたが、それでも、人々は、とても温かく、写真を撮りに近づいてきたり、成功や健康を祈ってくれたりするのでした。

 思えば、それはまさに国民のリレーでした。宇宙へ飛んだりどこかの湖の底へ潜ったりというスケールが問題なのではありません。大事なのは、スポーツとはあまり縁のない普通の人たちが、そんなかたちであれ、リレーの一員となり、オリンピックに親しむことができる、ということなのです。

 

元記事(露語)