白浜千寿子さん(左側)=セルゲイ・オルローフ撮影/ロシア新聞
ソチ五輪の聖火リレーは、10月7日にモスクワで始まった。組織委員会「ソチ2014」によると、ロシアの人口の9割に当たる1億3千万人が、聖火リレーのルートから、車で1時間以内の所に住んでいるので、直接見たり参加したりできるという。 聖火リレーの距離は6万5千キロ以上に達し、自動車、飛行機、列車、トロイカ、トナカイの橇でも運ばれ、史上最長となった。計1万4千人の走者が、全83自治体(連邦構成主体)の2900の市町村を巡る。
ウラジオストクにこの五輪のシンボルが到着したのは15日のことで、特別機でユジノサハリンスクから運ばれて来た。16日には、特別列車で国内をめぐる長い旅に出る。聖火リレーが終わるのは、ソチで、開会式当日の2月7日となる。
ウラジオでは、2日間に計225人の走者が、沿海地方の州都の最も風光明媚な場所を駆け抜けた。その80番目の走者となったのが白浜さんだ。
―このウラジオで聖火ランナーを務めることになった経緯は?
ほとんど偶然でした。大学(上智大学)でロシア語を学び、卒業後、ロシアに行きたいなあ、と思ったんです。1998年にウラジオストクの日本センターに就職できました。児童に日本語を教えていたら、間もなく、未来の夫と出会いました。3年後モスクワに移り、やはり日本センターに勤務しましたが、現在はノボシビルスクに住んでいます。
あるとき知り合いが、アンケート用紙を携えてやって来ました。私にも記入するようすすめるので、今どこに住んでいるか書いたら、ウラジオで過ごした3年間のことも思い出しました。素晴らしい思い出や印象が甦ってきたので、どこよりもこの街についてたくさん書きました。どうやら、これを読んだ人は、私をウラジオで走らせることに決めたみたいですね。
―走る前、緊張しましたか?走り終わった後の印象は?
ウラジオでは旧友と再会できて嬉しかったです。街を散歩したら、さらに綺麗になったなという印象ですね。走る前は、特別な感じはありませんでしたが、走り終わると、色んな感情が湧いてきて、アドレナリンが上がっちゃいました。ユニフォームもとても美しくて、良い記念になります。これでスキーしたら最高だし、ウラジオで聖火リレーに参加したことをいつまでも思い出させてくれるでしょう。
―白川さんは、小柄でほっそりしていらっしゃいますが、トーチは重くなかったですか?
ええ、とても重く感じました。おまけに頭上に高く掲げて走らなければならないし。走り終わったのはつい1時間前ですが、もう腕が痛くなってきました・・・。
―予めトレーニングしておくように言われませんでしたか?
とくにそうしろとは言われませんでした。多分必要だったのでしょうけど、特別トレーニングしたりはしませんでした。たった300メートルだから、このままでもいけるだろうと思ったんですが、腕を高く上げて走るのはそんなに楽じゃなかったですね。
―これまで何かスポーツに関わったことは?
以前はとくにスポーツに興味を感じませんでしたが、2010年にバンクーバー・オリンピックを訪れました。開会式では、場内に筆舌に尽くしがたいエネルギーが湧き起こってきて・・・。驚くべき印象で、とても気に入りました。
フィギュアスケートを見るのが大好きです。とくに浅田真央選手が。日本ではみんな「真央ちゃん」て呼んでます。彼女はとても綺麗でプロポーションも美しいですね。彼女の先生は、ロシアの有名なタラソワ・コーチです。ソチには、真央ちゃんの応援に行きます。もう開会式と閉会式と女子フィギュアスケートのチケットを注文しました。
―ロシアのオリンピックに自分も参加しているという感触がありますか?
私が聖火リレーに参加できたことは、日露友好のもう一つ新たなシンボルになるのではと思います。
ロシアは私にとって外国とは言えません。第二の祖国です。ここには夫も友人もいますし。ロシアで五輪が開催されるのは、東京で開催されるくらい嬉しいです。
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