2006年トリノ冬季五輪金メダリストのプルシェンコは7日、ボルボ・オープンのショートで82.34点をマークして首位に立ち、翌8日のフリーで180.91点をマークして合計263.25点で優勝した。
31歳の誕生日を勝利で飾る
11月3日に31歳を迎えたプルシェンコは、1月のISU欧州フィギュアスケート選手権を腰痛で棄権し、その後イスラエルの病院で椎間板(ついかんば ん)ヘルニアの手術を受けてから、長期間トレーニングを休み、大会の氷上に上がっていなかった。
だが今は活発にトレーニングを行い、4回転ジャンプや 4–3を成功させている。ステータスがそれほど高くなく、スター選手もプルシェンコ以外見当たらないリガの大会に出場したのは、国際スケート連盟 (ISU)が定める、ヨーロッパ選手権、世界選手権、五輪への参加に必要な最低点を獲得しなければならないため。
「もう”滑りだした”」
プルシェンコは初日に滑り終えた後、マスコミの取材にこう答えた。「10ヶ月間大会に出場していなかった。もちろん、すごく緊張したけど、最初のスター トはいつも難しいし、困難な手術の後だったから、がんばったよ。思い通りに滑れるとは考えていなかった。4回転ジャンプはなかったけど、良くできたと思 う。動きと感情にかなり集中していたから、回転が弱かったことは認める。プログラムは完成していないし、これが初めての大会だから、いきなり完璧とはいか ない。トレーニングではもっとうまく滑れているよ。もう”滑りだした”から、あとは明日を待つのみ。1~2年前にできていたことがまだ腰のせいでできてい ないから、腰の状態や健康の状態を調べて、雰囲気を思い出すために、この大会への出場は必須だった」
ビデオ提供:YouTube / Jelena Birk
「やっとスポーツに戻れた」
「大変だったけど、今日は満足のいく滑りだった。名前を呼ばれた時、やっとスポーツに戻れたって心の奥底で感じたから、思わず微笑んでしまったよ。小さな大会だけど、4回目の五輪に出場するという最大の目標に到達するためには、ここから始めないと」。プルシェンコはさすがにほっとした様子だ。
今でも腰痛に悩まされているため、鎮痛剤を打たないといけないという。「今日は鎮痛剤を4回打った。朝のトレーニングで2回、大会で2回。念のため打っているようなところもあって、以前のような痛みはもうな い。これぐらいなら滑れるよ」
アレクセイ・ミシン:「彼の人生で重要なできごとだった」
今大会では、子供時代に戻ったような気がしたという。「7~9歳の子供たちの脇で着替えたから、リガじゃなくて11歳の時に出場した大会に戻ったような 気がした。でも今回はこの子供たちや強い選手と競うためじゃなくて、自分と競うために来たんだからね。この不安と痛みを克服しないといけないんだ。10ヶ 月間という期間を置いたから、審査員の前、観客の前で滑る感覚を思い出さなければいけない」
アレクセイ・ミシン・コーチは、今回のプルシェンコの滑りを偉業と評価した。「プルシェンコの人生で重要なできごとが今日あったことに、とても満足して いる。偉業を成し遂げた。本人が消耗しないように、ゆっくりとした出発が必要だったから、最大限に難しいプログラムにしなかったことは正しい選択だっ た」。プルシェンコはショートで、五輪プログラムの一部を披露していた。
プルシェンコのフリーは、アルビノーニ、リムスキー・コルサコフ、コルネリュク、ロータの音楽という以前の自身の有名なプログラムの組み合わせで、4回転トーループなどの難易度の高いジャンプを成功させた。