ソ連を崩壊させた映画『アッサ』

1988年春、モスクワ電灯工場付属「文化の家」で、真の文化的革命が起こった。3月25日から4月17日まで、「アート・ロック・パレード」をうたう『アッサ』の試写会が、大々的に執り行われた。写真は「キノー」ロックバンド=

1988年春、モスクワ電灯工場付属「文化の家」で、真の文化的革命が起こった。3月25日から4月17日まで、「アート・ロック・パレード」をうたう『アッサ』の試写会が、大々的に執り行われた。写真は「キノー」ロックバンド=

アレクサンドル・チュミチェフ/アレクサンドル・ショーギン撮影/タス通信
 セルゲイ・ソロヴィヨフ監督が映画『アッサ』を撮ったのは1987年。しかし今も、世代をまたにかけ、重大な意義を持ち続けている映画だ。

 『アッサ』はセルゲイ・ソロヴィヨフ監督の創作の中で特異な位置を占めている作品だ。「マニフェスト映画」「ロシアン・ロック最重要の映画」さらには「ソ連を崩壊させた映画」などとも言われる。80年代の金字塔的映画が公開されたのは、今から28年前の、この季節のことだ。

 

「インド映画」

 『アッサ』の構想そのものは、「反抗」や「マニフェスト」からはかけ離れていた。モスクワで自身の作品『白い鳩』が公開されたとき、ソロヴィヨフは、劇場の空席を埋めるために、兵隊たちが動員されているのを目にした。この瞬間、彼は、誰を動員することも特に必要としないような、大入りの映画を撮ることを、自らに誓ったのだった。ソロヴィヨフは当時ソ連で人気だったインド映画のレシピを使うことにした。恋愛メロドラマ、ふんだんな音楽、そしてダンス。

スタニスラフ・ゴヴォルーヒン(クリモフ)とタチアナ・タチアナ・ドゥルービチ(アリーカ)=タス通信

 『アッサ』を短く紹介すると、たしかにボリウッド(インドの大衆映画)じみて聞こえるだろう。男物のシャツ・ネクタイ・ハンチングという出で立ちが「ソビエト版アニー・ホール」を思わせる美人ナースのアリーカが、冬のヤルタ(クリミア半島。黒海沿岸の街)にやってくる。愛人である、地下組織のマフィア、クリモフとともに。アリーカはそこで、若く貧しいミュージシャン「バナナン」に恋してしまう。バナナンは昼間、警備員として働き、夜にはレストランで歌っている。嫉妬に駆られたクリモフは、バナナンの殺害を命じる。それを知ったアリーカは、たまたまそこにあった拳銃でクリモフを殺してしまう・・・。

 決まりきった形だ。貧乏と金持ち、恋と流血、歌と踊り。他にも侏儒、KGB要員、偽宇宙飛行士、「皇帝暗殺者」などのケレン味が盛られているが、一番重要なのは、もちろん、音楽である。

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ロック・ウェーヴ

 80年代末、ロシアン・ロックの最重要バンド、「アクアリウム」「キノー」「ブラーヴォ」の音楽が、大画面から聞こえてくる――。このことに、リール式テープレコーダーで録音を融通しあっていたすべてのロック・ファンが、衝撃を受けた。「アンダーグラウンドな」ロックミュージシャンたちが期待できた最高のものといっては、せいぜいが、席数数百ばかりの小さな「文化の家」(公共ホール。国内各所にあった)で演奏することくらいであった。ボリス・グレベンシチコフの「黄金の街」、ヴィクトル・ツォイの「変革を待っている」を、全国が耳にした。そして、もはやこれまで通りに生きていることはできなくなった。それは新鮮なエネルギーの、莫大な放出であった。とどめようもない、ロックの怒涛であった。『アッサ』の劇中曲を集めたレコードはロシアン・ロックの最初の公式出版物の一つとなり、試写会はソ連にかつてなかった、盛大なショーとなった。 

 

ロック・パレード

 1988年春、モスクワ電灯工場付属「文化の家」で、真の文化的革命が起こった。3月25日から4月17日まで、「アート・ロック・パレード」をうたう『アッサ』の試写会が、大々的に執り行われた。期間中、「文化の家」は警官隊に取り囲まれ、人々はチケットを求めて数日間を立ち尽くした。ロビーではオルタナティブ・ファッションのショーが行われ、複数の階にまたがるアヴァンギャルド芸術家の「80年代新絵画」展が開かれ、周辺では「アッサ」モチーフのTシャツやバッグが盛んに売り買いされた。上映に先立ち「キノー」「アクアリウム」「アリサ」といった最高のロックバンドがコンサートを行った。そのあとではじめて映画が上映されたのだ。

 PRの面でも、映画はソ連に革命を起こした。これほど大規模にPRが行われた映画はかつてなかったのだ。

「パレード」はモスクワの後、ロシアの各都市を回った。9月の公式公開を待つまでもなく、ロックの波が国中を覆ったのである。

セルゲイ・ソロヴィヨフ監督=ミハイル・フォーミチェフ撮影/ロシア通信

 

大いなる変革

 『アッサ』のエピローグに、80年代ロシアン・ロック最大のアイコン、ヴィクトル・ツォイが登場する。役どころは、死んだバナナンにかわって、お抱えミュージシャンとしてレストランで歌うシンガー。最後の場面では、「変革を待っている」の演奏中、レストランが突如として巨大なホールに変貌する。このマス・シーンのエキストラには、ツォイの歌を聴きたい1万人が集まった。多くがライターの火を掲げている。このとき、劇中の、バナナンのせりふが思い出される。「ぼくら一人一人がマッチ一本ずつ火を灯せば、光は空の半分に満ちるだろう」

 変革は間もなくやってきた。『アッサ』公開から2年後には、ツォイがフロントマンを務めるバンド「キノー」がモスクワ最大のスタジアム「ルジニキ」でコンサートを開き、1万人どころか、7万人を動員する。さらに1年後、ロシアン・ロックの波にあおられてのことだっただろうか、ソビエト連邦が崩壊した。