ロシア現代美術の最初期のギャラリー10選

Viktor Velikzhanin/TASS
 1980~1990年代にかけては政治経済的な大変革の時期であったが、芸術分野にも変革の波は及んでいた。展覧会事業は数十年にわたって国家にのみ帰属していたが、ついに私設のギャラリーが登場し始めたのである。

M'ARS

 ソ連初の私設ギャラリーが誕生したのは1988年。画家のコンスタンチン・フジャコフとヴャチェスラフ・コレイチュク、彫刻家のアレクサンドル&イウリアン・ルカヴィシニコフら有志のアーティストたちが商業協会を設立。協会は、2つの重要な課題を主目的としていた。現代美術のトレンドを紹介すること、そして、現代美術作家に発表の場を提供することである。コミックス・フェスティバル「KomMissiya」が初めて開催されたのも、M‘ARSだ。現在は、新しいテクノロジーを用いたプロジェクトに注力している。

S.ART

 1989年、モスクワに新たな美術拠点が誕生した。ギャラリーS.ARTの創立者は、画家・彫刻家のピョートル・ヴォイス。彼は当初は伝統主義的な芸術、後に現代美術に取り組み、西側世界にロシアの現代美術を紹介していった(イタリア、フランス、韓国などで展覧会を開催している)。

 S.ARTの最も有名なプロジェクトの1つは、憲法に関するものだ。2003年、AES+F、「The Blue Noses Group」、ヴィタリー・コマールとアレクサンドル・メラミッド、オレグ・クリーク、ドミドリー・グートフら120人のアーティストが憲法の条文を具象化した。

ペルヴァヤ・ギャラリー

アイダン・サラホワ

 1989~1992年の間に活動していた、短命なギャラリーである。創立者は、画家のアイダン・サラホワ、アレクサンドル・ヤクート、エヴゲニー・ミッタ。3人とも、スリコフ記念美術大学で同時期に学んでいた。ソ連の画廊のイメージを一新するような施設を目指し、現代のアーティストたちが作品を展示できる場を志した。

 わずかな間にイリヤ・カバコフ、エリク・ブラートフ、ヘルムート・ニュートン、フランチェスコ・クレメンテらの展覧会が次々開催された。また展覧会『ラウシェンバーグから我々に、我々からラウシェンバーグに』は、1990年ヴェネチア・ビエンナーレのソ連パビリオンのプロジェクトの重要な一部となった。1992年に創立メンバーは袂を分かち、サラホワとヤクートはそれぞれ自分の新たなギャラリーをオープンした。

Regina

オレグ・クリーク

 ヴラジーミル・オフチャレンコのギャラリー「Regina」は、今では巨匠とされるアンドレイ・モナスティルスキー、セミョン・ファイビソヴィチ、イワン・チュイコフらの初の展覧会を開催してきた。1990~1994年の間、犬人間のパフォーマンスで名を馳せたオレグ・クリークがアートディレクターを務め、その間、「Regina」では多くの過激な企画やパフォーマンスが行われた。例えば、「プレゼントを配るピタチョーク」は、ギャラリーを闊歩していた豚をその場で屠殺してシャシリクを料理した。

 「Regina」は、他に先駆けてロシア国外にも乗り出した。2010年にロンドンに支部を開設し、国外のアートフェアでロシア美術をアピールしている。現在、ギャラリーは改名して「Ovcharenko」の名で活動している。

マラート・ゲリマン画廊

オレグ・クリーク

 20年以上にわたり、画期的なアートシーンを牽引してきた。1994年にはアンディ・ウォーホルとヨーゼフ・ボイスの展覧会も開催。ヴィタリー・コマールとアレクサンドル・メラミッドがプロジェクト『人民の選択』を披露したのも、ゲリマン画廊である。これは、世論調査に基づいて各国・各地域にて人気の絵画と不人気の絵画を選び、これを現地の画家が描くというもの。1995年11月には、画廊のそばでオレグ・クリークが犬人間パフォーマンス「狂犬、もしくは孤独なケルベロスが守る最後のタブー」を行った。

 しかし、企画は常に順調だったわけではない。例えば2006年、アレクサンドル・ジキヤの作品20点余りが破壊され、ゲリマンも殴打される事件が発生している。ゲリマン画廊は2007年に開館したアートセンターVinzavodの最初の入居者の1つでもあったが、2012年に閉館してしまった。

シュコーラ

イリーナ・メグリンスカヤ

 現代写真とその関連分野に取り組んだ、ロシアで最初のギャラリー。1991年、イリーナ・メグリンスカヤが創立した。その最初期の展覧会の1つが、『レープリカ』と題されたプロジェクトで、ジガ・ヴェルトフアレクサンドル・ロトチェンコの作品も展示された。数年のうちに、このギャラリーはロシアのアートシーンで重要な存在となっていく。ユーリー・バービチ、ヴラジーミル・クプリヤノフ、アンドレイ・ベズクラドニコフ、ヴラジスラフ・エフィーモフらの展覧会が開催された。 

L Gallery

ヴィクトル・ピヴォワロフの作品

 地下鉄ノヴォスロボツカヤ駅近くに位置した地域の展示場は、1991年にギャラリーに生まれ変わった。キュレーターとして指揮をとったのは、エレーナ・セーリナとエレーナ・ロマノワ。ギャラリーではヴィクトル・ピヴォワロフ、ドミトリー・プリゴフ、ヴィクトル・スケルシス、アンドレイ・フィリポフ、イーゴリ・マカレーヴィチ、エレーナ・エラーギナら、モスクワの現代アーティストたちの作品を見ることができた。2年後、エレーナ・セーリナはセルゲイ・フリプンと共同で現代アートの代表的画廊の1つとなるXLギャラリーを立ち上げる。

FINEARTギャラリー

イーゴリ・シェルコフスキーの作品

 このギャラリーはすぐに伝統主義的な絵画とグラフィックに集中的に取り組んだ。公式芸術も非公式芸術も同列に扱われ、展覧会ではイーゴリ・シェルコフスキー、エドゥアルド・ゴロホフスキー、イーゴリ・ヴーロフ、イーゴリ・ショーリンらの作品が展示された。FINEARTは現在も、アートセンターVinzavodの敷地内で順調に活動を続けている。

Krokinギャラリー

ミハイル・クロキン

 「1990年開館。個展やグループ展を300回開催」。30年以上の歴史を持つギャラリーだが、公式サイト上の説明はこのように簡素だ。当初の名称は「Neo-shag」だった。他に先駆けて国際的なアートフェアに乗り出し、国際市場に進出したのも、このギャラリーだ。後に創立者ミハイル・クロキンの名をとって、Krokinギャラリーに改名した。現在も精力的に活動中で、定期的に展覧会を開催している。提携しているアーティストの中には、コンスタンチン・バティンコフ、フランシスコ・インファンテらがいる。

ギャラリー1.0

エカテリーナ・ジョーゴチ

 ヴラジーミル・レワショフとエカテリーナ・ジョーゴチが立ち上げたこのプロジェクトには当初、自前の敷地が無く、展覧会はよその施設を借りていた。最初期の企画の1つ、『プライベートな営み』は、ユーリー・アリベルト、ドミトリー・グートフ、パヴェル・ペッペルシテイン、セルゲイ・アヌフリエフらの作品が一堂に会した。1995年に閉館するまで、ギャラリー1.0はモスクワ・コンセプチュアリズムをベースに、ロシア美術の新たな潮流の模索を続けた。

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