ウラジーミル・マヤコフスキーは正式に結婚したことはなかったが、彼の私生活は多くの謎と神秘に満ちていた。マヤコフスキーにとっての最大のミューズはリーリャ・ブリークであったことはよく知られているが、彼はその他の多くの女性と恋をした。パリで講演を行った際、マヤコフスキーはロシアの移民タチヤナ・ヤコヴレワと知り合い、たちまち恋に落ちた。
彼はタチヤナをソ連に呼び寄せたが、彼女はそれに応じず、2人の関係はそれで終わるかに思えたが、実はそうはならなかった。
タチヤナによれば、マヤコフスキーがパリを去った後も、日曜日ごとに「マヤコフスキーより」と書かれた花束が届けられたという。それがどのくらい続いたのか、実際のところは分からない。しかし、言い伝えによれば、マヤコフスキーはパリで行った講演のギャラをすべて銀行に預け、そのお金で彼女に花を送るよう依頼したのだという。そして約束の花は長年にわたって、マヤコフスキーの愛した女性に贈られ続けたのである。そしてマヤコフスキーが悲劇的な死を遂げた後も、翌朝には、「マヤコフスキーより」というメッセージが花と共に届けられたのである。
第二次世界大戦のときにも、タチヤナの元には「マヤコフスキーより」花が届いたという。彼女はその花を通りで売り、そのおかげで占領下でも生き延びることができたとも言われている。
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