修復された構成主義の建築記念物であるパン工場(写真特集)

 1930年代初旬の建築物が再びその扉を開いた。しかしもう工場としてではなく、文化教育センターとしてである。その信じられないインテリアとファサードを写真でご覧いただこう。

 1925年から1935年にかけて、モスクワでは12のパン工場が作られた。ソ連政府は革命と内戦後に食糧難にあった国内でパンの製造を最適化しようとしたのである。工場では最新の技術が用いられた。そんな一つが建築家ゲオルギー・マルサコフが考案した丸い形をしたパン工場である。

モスクワのパン工場、1930年代

 生産システムは丸いコンベアでできており、それによりパンの製造工程が自動化されていた。製品はその中で、段階ごとに上から下へくるくる回って動いた。マルサコフの設計による最初の工場は、1931年にモスクワのホディンスカヤ通りに建設された。工場には5番という番号が振り当てられた。工場は2000年代初旬まで機能していた。

1階の内装
1階の内装
2階の内装
2階の内装
3階の内装

 この建物はソ連の構成主義の真の記念物である。円筒型の建物の上に階段のついた塔がついていた。2022年、このパン工場の修復作業が完了したが、建物は構成主義のものとしてだけでなく、のちに工場の運用の過程、時代の変遷の中で加えられた建物の変更も再現された。中には、ロシアで初めての構成主義の研究センターがオープンする。センターはソ連の食糧産業大臣でモスクワで大々的なパン工場の建設を組織した(彼はかつて普通のパン職人だった)ワシリー・ゾトフにちなんで「ゾトフ」と名付けられた。

4階にある映画館
4階にて

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