露作曲家の「日本バレエ」を初披露

ShutterStock/Legion-Media撮影
 ロシア帝国の作曲家ゲオルギー・コニュス(1862年~1933年)が初めて日本をモチーフにしてつくったバレエ音楽「ダイタ」の一部が、120年後に日本で初めて奏でられた。演奏会「日本~ロシア・音楽の架け橋」の主催者ユリア・レフ氏がこれを「ロシア通信」に伝えた。

 群馬県高崎市で行われる演奏会「日本~ロシア・音楽の架け橋」は3年目を迎えた。両国の音楽家が参加する音楽文化交流のイベントで、今年は9月25日に開催された。演奏会の準備の際に、いくつもの象徴的な偶然があり、今年は特に貴重な会になった。

 

今年で3年目の「音楽の架け橋」

 「ロシア音楽には日本文化の影響を受けてつくられた曲がある。逆に、日本ではロシア音楽に人気があり、日本の作曲家は幾度となくロシアのモチーフを採用している。2年前に初めて『架け橋』を開催した時、プログラムの容量がとても大きく感じたため、続けられるとは思えなかった。でも携わりながら、両国の音楽文化の中に新たな作品や影響を発見し、そのたびに喜びを感じた。そして今年はもう3回目」と主催者で参加者のレフ氏は話す。

 演奏会の目玉となったのは、日本にとって新しいコニュスのバレエ音楽ダイタ。バレエの台本のもととなっているのは日本の伝説で、音楽には初めて日本のメロディーが使われた。

 19世紀終わりにヨーロッパとロシアで起こった日本芸術ブームを背景に、コニュスは1896年、このバレエ音楽をつくった。帝国ボリショイ劇場の舞台で上演されたが、日本との関係悪化、その後の日露戦争により、このバレエについて話すことは「政治的に正しくない」ということになった。

 

偶然に見つかった楽譜

 「バレエは忘れられ、楽譜はなくなったと考えられていた。私は偶然、インターネットで総譜表の一部を見つけた。この偶然に驚いた。作品の120周年にあたる今年に楽譜が見つかり、日本での初披露の年にもなった」とレフ氏。

 演奏会では山田耕筰のサイクル「ロシア人形の歌」も演奏された。山田は日本のクラシック音楽の礎を築いた人物。どの歌にもロシア語名がつけられている。「ヴェドロ(バケツ)」、「ジェヴシカ(娘さん)」、「ニャニャ(子守)」など。歌詞にもロシア語がつかわれている。

 演奏会にずっと参加している、群馬交響楽団のチェロ奏者レオニード・グリチン氏は、今回の演奏会にもう一つの偶然があると説明した。

 「それはドミトリー・ショスタコーヴィチのサイクル(歌曲)『日本の詩歌による6つのロマンス』。ショスタコーヴィチが若き日に日本の詩をモチーフにしてつくった。愛と死の歌。いまだにこれらの詩の作者は不明。日本の音楽史の専門家によれば、サイクルは、今日、世界の音楽界がショスタコーヴィチの生誕110周年を祝う9月25日まで、日本で完全に演奏されたことはなかった」とグリチン氏。

 

ロシア通信の記事を抄訳

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