スヴィリードフ生誕百年

ユリー・ベリンスキー撮影/タス通信
 12月16日、20世紀ロシア最大の作曲家の一人、ゲオルギー・スヴィリードフの生誕百年を迎える。残念ながら、彼の名はロシア以外ではあまり知られていないが、世界的な歌手であるエレーナ・オブラスツォワやディミトリー・ホロストフスキー(フヴォロストフスキー)が、その作品の初演をめぐって争ったことからも、その大きさの一端がうかがわれよう。

  ゲオルギー・スヴィリードフの名は、ロシア以外ではあまり知られていないが、ロシアでは、彼の音楽を知らない人間は皆無だ。芸術に興味をもたない人でさえ、ソ連中央テレビ第一チャンネル、現在は国営テレビ第一チャンネルのオープニング曲として、映画「時よ、前進!」の弾むようなエネルギッシュな主題曲を、数十年間聞いている。

 どんな学童でも、映画「吹雪」(原作はプーシキンの「ベールキン物語」に収録された小説)のロマンスを口ずさむことができるだろう。この8曲から成る「吹雪:プーシキンの物語への音楽の挿絵」は、クラシック音楽のコンサート以外でも、しばしば演奏される。

 スヴィリードフは、20世紀ロシアを襲ったあらゆる災厄を体験し、乗り越えてきた。そして、彼はそれらを自らの音楽にとどめた。彼の音楽がすべての人に身近なのはそのためだ。

ロシアの僻地から

 スヴィリードフはロシアの僻地の出身で、クルスク県の小さな町に、第一次世界大戦中に生まれた。2年後に十月革命が起こり、彼の父はボリシェヴィキ側についたが、1919年に白軍により銃殺。スヴィリードフの母は、二児を抱える寡婦となった。

 彼女は、戦死した共産主義者の未亡人として、新政権から援助を受け、牝牛と貴族から没収したグランドピアノのうち、どちらかを選ぶよう提案された。奇妙なことに、彼女はピアノを選んだ。スヴィリードフの伝記作者たちが指摘しているように、母は既に、4歳の息子が音楽に非常な関心を示していることに気づいていた。

 だが、スヴィリードフがピアノを習得したのはずっと後のことで、幼年時代には、早々にレッスンを放り出してしまった。その代わり、独習で、国民的な弦楽器バラライカをマスターし、祭日には必ず弾いていた。クルスク市の音楽学校の先生たちは(同市への家族の移住後、教わるようになった)、たちまちスヴィリードフの楽才を見抜き、真剣に勉強するよう勧めた。

 17歳の時にレニングラード(現サンクトペテルブルク)に移り、一流の教師がいた音楽中等学校に入学。同級には、将来、歌曲の作曲家として名をなすニキータ・ボゴスラフスキーとワシリー・ソロヴィヨフ=セドイがいた。ここでスヴィリードフは作曲を始め、早くも在学中に、プーシキンの詩にもとづくロマンスの連作を書き出した。これは非常な人気を博し、セルゲイ・レメシェフ、アレクサンドル・ピロゴフといった大歌手のレパートリーになった。

 にもかかわらず、スヴィリードフの学業は、レニングラード音楽院に入ってからが本番で、そこで彼に教えたのがドミトリー・ショスタコーヴィチだった。この大作曲家は、数十年にわたり、親友にして師、良き助言者となった。

 第一交響曲と弦楽のための協奏曲を書いて、見事な成績で音楽院を卒業したが、それはちょうど大祖国戦争(独ソ戦)の勃発と重なった。スヴィリードフは直ちに動員解除されて、軍事学校に入れられたが、不幸中の幸いにして、数ヵ月後、健康診断で兵役免除となった。内戦中の飢餓、そして青年時代の身体の衰弱が健康に影響していた。未来の作曲家は、幼年時代の音楽教育の欠落を刻苦勉励して挽回しなければならなかったのだ。

言葉と音の結合

 とはいえ、戦時はスヴィリードフにとって非常に緊張した時代だった。ノボシビルスクにレニングラード・フィルハーモニーとともに疎開することとなり、そこで劇場用のものも含め、多くの曲を手がけた。それは、作曲技法を蓄積しつつ、分野を定める時期になり、それが、1950年代の真の飛翔をもたらした。

 スヴィリードフは既に、管弦楽と器楽、それに映画と舞台のための作品を書いていた。だが、彼の本領が最も鮮やかに発揮されたのは、ロシアの詩と組み合わせた曲であったろう。しかも彼が「共作者」として選んだのは、既に確認済みで外れのないプーシキンだけではなかった。スヴィリードフは、アレクサンドル・ブロークとセルゲイ・エセーニンも取り上げたのだが、これらの詩人はソ連時代には、「半分禁止」もしくは「半分許可」の扱いだった。だが、彼らがロシアの精神を表現する、その力量は、作曲家のスヴィリードフのみならず、聴衆をも説得した。

 1960年、スヴィリードフは、ウラジーミル・マヤコフスキーの詩にもとづく「悲愴オラトリオ」により、ソ連最高の褒賞の一つであるレーニン章を受賞した。彼が認められた証は、「クルスクの歌」と「プーシキンの花輪」の連作に対して授与された2つの国家賞、そして、「社会主義労働英雄」の称号であった。この称号が芸術家に与えられることは稀だった。

 だが、その真価の一端を物語るのは、世界的な歌手であるエレーナ・オブラスツォワやディミトリー・ホロストフスキーが、その作品の初演をめぐって争ったこと、そして、彼の作品が今日にいたるまで常にコンサートホールで演奏され続けていることだろう。

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