「オーロラ、帰って来いよ!」

アレクサンドル・ペトロシャヌ撮影

アレクサンドル・ペトロシャヌ撮影

オーロラ(アウロラ)といえば、ロシア史の幾多の大事件を体現する防護巡洋艦で、サンクトペテルブルクを訪れた旅行者は、まずこの軍艦の見学から始めるのが常だった。ところが今では、ネバ河岸にやって来た観光客は、両手を左右に広げ、船はどこだ!と呆然とする。あのロシア革命のシンボルはどこへ消えたのか、ロシアNOWの記者が明らかにした。

司祭の代わりにワニを乗せる 

 オーロラが建造されたのは120年近く前のこと。ロシアでは巨艦の命名はツァーリが行うしきたりで、時の皇帝ニコライ2世は、提示された名前のリスト――バリャーグ、ボガトゥイリ、ボヤーリン、ポルカン、ネプチューン等々――のなかかから、女性名アウロラを選んだ。これはローマ神話の曙の女神だ。

 この巡洋艦に最初の損害を与えたのは…ロシア軍だった!事件は日露戦争に際して起きた。バルチック艦隊に編入され、極東に回航される途上、その艦影を見て敵艦と誤認した友軍艦艇が砲撃し、二人が死傷。そのうちの一人、従軍司祭が死亡した。

 間もなく乗組員は“補充”された。アフリカの港の一つで、2匹のワニを乗船させたのだ。オーロラの船医は、船で夜を過ごすのがいかに恐ろしかったか回想している。ワニのほか、大蛇、キツネザル、カメ、カメレオンなどとの同居を強いられたからだ。

 どうやら、ワニのうちの1匹は来る海戦に参加したくなかったようで、海に飛び込み死ぬことを選んだ。もう1匹は、日本海海戦で“名誉の戦死”を遂げた。ちなみに、オーロラはこの壊滅的な敗戦で沈没を免れた少数の船のうちの1隻だった。

 

革命の偽シンボル? 

 これまでオーロラはロシア革命のシンボルだった。臨時政府が立てこもる冬宮への一斉射撃が、冬宮攻撃の号砲となったとされてきたからだ。

 しかし、サンクトペテルブルク水兵クラブ委員長で、オーロラ保存問題で市長の顧問を務めるイーゴリ・クドリン氏は、自ら執筆中の現代史のなかで、事件の真相を次のように考えている。

 革命前夜、ボリシェビキは、修理中だったオーロラの水兵たちに任務を与えた。臨時政府に忠実な士官学校生徒たちが、ネバ川にかかるニコラエフスキー橋(跳ね橋)を開かせていたのだが、その橋をおろして通行可能にすべしというもの。オーロラは任務を果たした後、橋の近くに投錨。21時45分、オーロラから実際に砲声が轟いたが、冬宮攻撃が始まったのは深夜零時だった。

 「攻撃の号砲が鳴って、兵士が駆け出すのがその2時間後なんてことはありえない」。クドリン氏は肩をすくめる。もう一つの根拠は、10月29日付のプラウダ紙の記事で、オーロラ水兵が未確認の非難に対して抗議している。「新聞は、オーロラが冬宮を砲撃したと書いているが、記者たちは一体分かっているのだろうか?――もし我々が本当に砲撃したとすれば、冬宮だけでなく、隣接する建物も完全に破壊されていただろうことが。実際には、6インチ砲から空砲を一発撃っただけで、これはネバ川の全艦船に対し警戒と準備を呼びかけるものだった」

 

女優となったオーロラ 

 10年後、オーロラを最終的に革命のシンボルに仕立てる事件が起きた。1927年に映画監督のセルゲイ・エイゼンシュテインとグリゴリー・アレクサンドロフは、党幹部の注文で、映画「十月」を製作した。監督達には、鮮烈なストーリーが必要だったので、オーロラを利用することが決まった。同艦は再び、10年前と同じく、ネバ川に停泊し、冬宮に向けて空砲を発射。モンタージュの結果、映画をドキュメンタリーと思い込んだ普通の観客の目には、あたかも砲撃の直後に大群衆が冬宮攻撃に向ったように見えた。

 こうして、ソ連のみならず全世界で、人類の新時代到来を告げる号砲という伝説が生まれた次第だ(映画は海外でも盛んに上映された)。

 

独ソ戦でオーロラの旗が告げたもの 

 大祖国戦争(独ソ戦)に際しては、オーロラはレニングラード(現サンクトペテルブルク)近郊のオラニエンバウムに在った。1941年、この艦はドイツ空軍の空襲を受けて甚大な損傷を被り、港内で着底。以後、レニングラードの封鎖が解かれるまで、砲撃を受け続け、損傷も増えていったが、艦から武装が撤去され、水兵が移動した後も旗は降ろされず、そのことは、ナチスに対する怒りとレニングラードの防衛者の士気を高めた。オーロラは沈まず、すなわち市は屈せず、という訳だ。 

 

オーロラの住所がいかに決まったか 

  レニングラード解放後、ナヒモフ海軍幼年学校の建設が始まった。これは、戦死した水兵の子弟の教育機関だったが、生徒の収容スペースが足りなかったため、オーロラを学校のすぐそばの河岸に恒久的に停泊させることが決まった。観光客は他ならぬこの場所でロシア海軍の伝説を見学したのである。生徒がすべて校舎に移った後は、艦は博物館になり、希望者は甲板に上がったり、共同船室を覗いたり、空砲を撃った大砲を見たりできるようになった。

 

オーロラはいつ帰って来るのか 

 今、オーロラは、サンクト近郊のクロンシュタットで、定期的な改修工事がなされている。ロシア国防省によれば、同艦は来年夏に以前の場所に戻る見込み。改修後も、外観は同じだが、博物館の展示品は変わる。博物館員によると、革命よりも造船と海軍の歴史に関連したものが増えるという。

 

全市が見送る 

 現在、サンクトペテルブルクでは、3つの公式の歴史的シンボルが定められている。青銅の騎士(ピョートル大帝騎馬像)、旧海軍省の尖塔の先端にある帆船、ペトロパブロフスク大聖堂の尖塔の天使像だ。2年前、同市議会議員たちが、4つ目の名所つまりオーロラをシンボルに加えることを提案したが、市民の反応は懐疑的だった。要するに、「オーロラは君達の書類なんかなくても、シンボルであり続けるさ」ということだったと、クドリン氏は説明する。

 市民の気持ちを証拠立てるのが、最近の改修工事への回航だ。タグボートの曳航に際しては、市民は早朝から河岸にやって来て、手を振りながら見送った。なかには泣き出したり、「オーロラ、早く帰ってこいよ!」と叫ぶ者もいた…。