時代遅れで退場

=ウラジーミル・アスタプコヴィッチ撮影 / ロシア通信

=ウラジーミル・アスタプコヴィッチ撮影 / ロシア通信

国営「ロシア鉄道」は11月、プラツカルト(開放寝台車)が既に時代遅れであり、新しい2階建て車両に代えられると発表した。

「プラツカル」:動く共同体空間

庶民的な安さ

 プラツカルトの値段は安い。モスクワ―サンクトペテルブルク間は約1000㍔(約3000円)。

 プラツカルトはソ連時代から普及した独特の車両だ。語源はドイツ語の「PlatzKarte」(寝台付き座席指定券)。

 このタイプの車両は大部屋みたいで、間仕切りなしに寝台(座席)が並んでいる。ソ連、次いでロシアで広まり、国民に愛されるようになった。 

 座席によっては、真夜中に急に列車が動き出したり、急停車で転落しかねないこともある。

 とはいえ、この鉄道は概して安全で安価で、最も「民主的」でもある。

不人気は9番座席

 9番の座席は人気がない。理由は簡単。トイレに一番近い場所なので。

 一服やりたくなったり、用を足そうとなると、下で寝ている人を踏んづけないように下りて、車両の揺れと人いきれでよろめきながら、遠い方のデッキに行く(近い方のトイレはなぜかいつもふさがっている)。

 その間に、1車両の半数くらいの乗客と知り合いになってしまう。

 鶏肉と汗臭い足のにおい、コップのガチャガチャいう音、子供の泣き声、和気あいあいの笑い声。プラツカルトに乗るのは一つ屋根の下、同じ寮で暮らすようなものだ。


あまりにロシア的情景

  プラツカルトでは食事にありつけないなんてことはない。

 もし、ギターを弾けたり、小話を聞かせたり、トランプに夢中になれたりするなら、ごちそうされて満腹するばかりか、ほろ酔い加減にもなれる。

 車掌が親切な人だったら、チケット代の半分も払えば、クリミアの暖かい保養地だろうが、はたまたハバロフスク、果てはウラジオストクだろうが、どこへでも行けてしまう。

貨車を客車に改造:兵員・受刑者も輸送

 プラツカルトの起源は「チェプルシカ」(人員輸送用の暖房貨車)と「ストルイピンの車両」だ。貨車を客車に改造したチェプルシカは1872年に造られた。寝台を2~3列備え付け、だるまストーブをしつらえた。1940年代末まで使われ、四つの戦争(露土戦争、第一次世界大戦、内戦、独ソ戦)に兵士を動員した。ストルイピンの車両は欧州ロシアからシベリアへ移住者や受刑者を運搬した。ソルジェニーツィンの「収容所群島」に詳しく描かれている。

 

 どこかおどおどしていて、我慢強く、未知の人には口が重い、そんな人々が道中で一変してしまう。

 宵やみが降りてきて、いろんな景色が車窓から見えるようになってくると、人々はどちらともなく話しかけ、心配事を分かち合ったり、一緒に黙って窓外を眺めたりする。 

 かくして、プラツカルトの廃止とともに一時代が終わろうとしている。これは、ロシア人にとっては単なる交通手段ではない。かつて過ごした共同体的・集団的生活の一つのモデルだったのだ。

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