サンクトペテルブルク動物園、1910年。
この「レニングラード動物園」は旧市街にあり、創建当時の建物は残っていないものの、全体の配置などに往時の面影をとどめている。
当初は民営で、トラ、クマ、ライオン、水鳥、オウムなどを飼育していた。所有者は、自ら経営するレストランや劇場から上がる利益で、徐々に動物を増やしていき、19世紀末には、その固体数は1000を超えた。
ところが、1898年に共同経営者の一人が事業から手を引くと、動物園は経営難に陥り、1909年にいったん閉鎖されてしまう。
しかし、首都にふさわしい学術的な動物園を創ろうという機運が盛り上がり、劇場経営者S.N.ノヴィコフが経営を引き受け、1910年に再開する。
正門を新たに建設し、水鳥用の池を掘り、檻を修理するなどしたほか、様々な動物を入手した。
革命、内戦、独ソ戦を生き延びたカバ
ノヴィコフが入手した動物のなかには、革命、内戦を越えて長生きしたものもいる。
子供たちの人気者だったメスのゾウ「ベティー」は、レニングラード包囲戦が始まった1941年9月に死んだが、メスのカバ「美女」は、独ソ戦を生き延びた。
100万人とも言われる犠牲者を出したレニングラード包囲戦のさなかも、動物園は閉鎖されることなく、職員は動物を守るために尽力し、夏季には開館した。
この時期の活動を記念して、連邦崩壊後も、「レニングラード動物園」の名称はそのまま残された。
この動物園のシンボルマークはシロクマ。これは1932年以来、シロクマが定期的に子供を産むようになったためで、シロクマの定期的繁殖は、当時、世界的に見ても珍しかった。
1950~60年代には動物の数も種類も著しく増えて、ソ連有数の動物園として復活し、今日にいたる。
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