詩人デルジャーヴィン生まれる

ガヴリーラ・デルジャーヴィン、1811年 画像提供:wikipedia.org

ガヴリーラ・デルジャーヴィン、1811年 画像提供:wikipedia.org

1743年の今日、7月14日(ユリウス暦3日)に、詩人ガヴリーラ・デルジャーヴィン(1743~1816)が、カザン県の小地主の息子として生まれた。彼の詩『神』は、19世紀ロシア文学の“爆発”を準備した傑作の一つだ。

苦労人 

 デルジャーヴィンは大変な苦労人だ。11歳で父を亡くし、19歳で近衛連隊に一兵卒として入隊する。コサックと農民の大反乱「プガチョフの乱」の鎮圧など実戦にも参加するが、勤務のかたわら独学で好きな詩作に励んだ。

 転機は、デルジャーヴィンがもう40歳に近かった1782年にやってくる。女帝エカテリーナ2世を褒め称えた『フェリーツァ』が彼女のお気に召し、1784年にオロネツ県知事に任命されたのをはじめとして、要職を歴任していく。

 しかし、彼の真価は、その最大傑作『神』(1784)によって、詩人プーシキン以下の知識人に、意識革命を起したことだろう。

 

代表作『神』と意識革命 

 この詩では、最初、時間と空間を超越した神が褒め称えられる。

 「そなたは自らのなかに生き物の連鎖を飲み込み、それを保持しながら生きる。終わりと始まりを繋げ、死によって生を与える。火花が散り、まっしぐらに進むように、いくつもの太陽が汝より生まれる。<・・・> わたしはそなたのまえでは...ゼロだ。」 

 ここで詩人は意外な転調を行う。

 「ゼロ!...だが、そなたはわたしのなかで、そなたの善なるものの偉大さによって輝く。そなたはわたしのなかに自らの姿を描き出す。小さな水滴のなかの太陽のように。」 

 人間はゼロだが、ゼロではない。

 「すると、わたしはすでにゼロではない。わたしは宇宙全体の一部分、わたしには、自然のあの名誉ある中央に、自分が据えられているように思われる。そこはそなたが肉の被造物の終わりと、天上の魂の領域の始まりの場所と定め、そなたがすべての生き物の連鎖を私において結び合わせたところ。

 わたしは遍在する諸世界の結び目、わたしは物質の究極の段階、わたしは生きたる者らの中心点、神が最初に描いた線。わたしは身体が塵のなかで朽ち果てようとも、知によって雷鳴どもに命令する、わたしはツァーリ...わたしは奴隷...わたしは蛆虫...わたしは神!」(訳は三浦清美)

 人間はゼロだが、同時に一切であり、神でさえある。時間と空間のなかで整然と運行する世界。しかし、その時空を超えたところでは、人間はもちろん、一滴の水滴のなかにさえ、全宇宙が、神が宿っている。

 デルジャーヴィンは、自然科学と啓蒙思想がすさまじい勢いで展開する激動の時代に、人間のあるべき位置をごく平易な言葉で示し、自信を与え、自意識を拡大した。

 ちなみにこの詩は、最初に日本語に訳された詩だ(馬場佐十郎が抄訳)。1811~1813年の文化年間にロシア海軍将校ゴロヴニン(ゴローニン)が日本側の囚われの身となったとき、日本人に教えた。ゴロヴニンによると、日本人はこの詩をよく理解したという。