21世紀の「貴族の巣」

=ワレリー・クラッム撮影

=ワレリー・クラッム撮影

幹線道路を150キロほど行き、さらに砂利道を2キロ行けば、入植者らの世襲領地(私有地)の村「ブラゴダートノエ」に着く。そこに見えるのは地平線でな く立ち並ぶ家々の屋根。前方に広大な空間が開け、静寂そのもの。ブラゴダートノエ村は、いみじくも「オビ海」と命名された、途方もなく広いオビ貯水湖の湖 岸にある。

 医者、教員、経済学者らの都会人が田舎の土地に出かけ、そこに「世襲領地」を営む。子どもや孫たちの「心の故郷」を作るためだ。ノボシビルスク州にはこん な入植者村が6つある。ロシア全国だと約2000にのぼる。最初は近隣の住民も行政当局も「新地主たち」を理解せず、受け入れようとはしなかったが、15年経った今では、彼らに関心と期待の目を注ぐ。

 ブラゴダートノエ村は、今年で10年になる。こうした「世襲領地」の生活は都会生活とは大きく違う。ここにあるのは共同の作業と共同の祝日、わずか数家族が決意した越冬、新しい入村者の受け入れ、そして新しい職業。 

 

疲弊し切っていた耕地 

 世襲領地を作る上で「つまずきの石」になるのが土地の取得だ。世襲領地作りを調整する法律は、今はまだできてはいない。土地を取得するには、別荘協同組合の合資団体を通して取得するか、あるいは廃村の回復、または廃村の土地で個人経営の副業を始めることが必要だ。中には、村に移り住むため、完全に退路を断って、都会の住居を売却してしまう大胆な都会人もいる。 

自給自足の入植者村の復活

 ロシアでは1世紀近く前に、個人が土地を所有する時代が終った。地主の所有地や農民の土地は統合され、土地は公有地になり、つまり誰の土地でもなくなっ た。この共有地に協同組合方式の農民企業であるコルホーズ(集団農場)が作られ、その後、ソフホーズ(国営農場)が現れた。ペレストロイカが始まるととも にソ連型農業企業は閉鎖されていった。耕作地の数が減り、機材は放置され、土地には白樺が生い茂った。

 この時期にロシアで別荘協同組合が作られ始めた。今では世襲領地の先駆者と呼ばれている。600㎡ほどの小さな区画に都会人たちが小さな家を建て、野菜や花を植えた。経済難のなかにあって、趣味の栽培が自給自足を助け、多くの人々にとっては遠い存在になった避暑地に出かけずに、休息の時を持てるようになり、年金生活者や子供たちはひと夏をそこで過ごした。

 世襲領地には1ヘクタール以上の土地が必要だとされている。まさにこの1ヘクタールが、バランスのとれたエコシステムなのだから。1ヘクタールあれば、敷地内に森や池を配置でき、それが塀の代わりの生垣になる。地主らは土地を大切に扱わなければならない。化学肥料や機械を使った耕作は禁物だ。そうすることでのみ 領地は、意図していたとおり、一族の復興だけでなく土地の復興にも役立つ。ブラゴダートノエ村も最初は、ジャガイモさえ実をつけなかった。それだけ土 地が疲弊していたのだ。 

 

「失ったものは映画館とディスコくらい」 

 若い入植者、オリガとロマンの家族には2人の子どもがいる。アリョーシャとアリョーナだ。どちらの子も、オリガは家で出産した。彼らの屋敷には部屋と台所があり、「冬の庭」つまり温室になる床から天井までの大きな窓を備えたサンルームがある。 

 「窓を取り付けてくれた職人たちは『ずっとここに住むつもりですか? 文明を離れて?』と驚いていた」とロマンは言う。「実際、僕らがどんな大切なものを失ったか言ってみてくれと言うと、彼らが首をひねって挙げたのは、映画館とかディスコなどだ」。

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 村には電気が通っており、どの家庭にもフィルムライブラリーがある。それにここではテレビは不人気だ。酒やタバコや卑猥な言葉と同じこと。多くの家庭は肉料理だ。だが、サンルームではオリガとロマンは、映画を観ずに時を過ごすことができる。巨大な窓はオビ貯水湖に面しているのだ。 

 「こんなに美しい所とは思ってもいなかった」とオリガは微笑んで言う。「ここには自分たちの森が育っており、この松林の下でバケツ一杯のきのこを採るの。 池も庭もできて、子どもたちは自由に遊べる。私は都会のマンションで育ったので、『心の故郷』の思い出は何もないわ」。 

ブラゴダートノエ村の子どもたちは、ほとんどの世襲領地の子どもと同様に、家庭学習だ。領地の子どもらに勉強を教えるのは両親や隣人たち。自分たちが受けた教育をもとに教えているのだ。 

 

当面は都市部で稼ぐ二重生活 

 ブラダートノエ村の男たちは、現地で稼ぐ可能性をさぐっているが、今はまだ都市で働いている。少し前にちょっとした建設事業団体が作られた。その設立に参 加したワレリー・ポポフさんは、以前は医者で、市立病院の分院長をしていたが、その後、企業家に転身した。都会の仕事をすべて辞めて、ブラゴダートノエ 村に移り住んだ少数の1人だ。ワレリーさんは回想して言う。 

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「医者として自分が人々の役に立っていないと思った。意味がなくなったのさ。医者の仕事に打ち込んだが、結果はついてこなかった。患者たちは自分の生活を変えようとせず、医者を当てにするばかり。それで辞めることにした」。 

 新住民らは最近、村の中心地に美術サロンの工房を立ち上げた。またブラゴダートノエ村には手仕事の名手が大勢いる。数年前から観光客が来るようになった。 ここでは山羊乳チーズやハチミツや亜麻布の服が買え、サウナに入ったり、村人たちとエコロジカルな有機食材の食事を楽しみ、宿泊することもできる。 

連絡先は

 ブラゴダートノエ村に行くには、現地の人に予告しておけばよい。電話は「+7-903-902-68-62」(クラウジヤ・ルキニチナさん)に。

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