サンクトペテルブルクの聖エカテリーナ女学院 写真提供:wikipedia.org
女学院は最初は、通称「イタリア宮殿」の古い1階建ての建物に置かれ、後に、1804~1807年に、フォンタンカ運河沿いに新館が建てられた。現在ここは、シチェドリン図書館(または公共図書館)の別館となっている。
入試科目は祈祷文、露仏の読み書き、足し算引き算
寄宿学校の学費は、両親か富裕な後援者が支払ったが、孤児については国が支出した。
低学年の生徒は、10~13歳の女子から選抜し、入学に求められる知識は、まず主な祈祷文で、「天主経」(「主の祈り」:天にまします我らの父よ・・・)、「生神童貞女や慶べよ」(「アヴェ・マリア」)など。さらに、ロシア語とフランス語の読み書き、100までの足し算と引き算であった。
寄宿生は、短い髪型で制服着用を義務付けられた。白いカフスつきの緑色のワンピースに短いコート、リンネルのエプロンという装いだった。
貴族の良妻賢母育成を目指す
起床は6時。担任が毎朝、髪型と服装をチェックして、授業が始まる。軽い昼食をとった後、ロシアの女学校第1号であったスモーリヌイ修道院(1764年創立)などにお客に行った。そこでは舞踏会などが催された。
聖エカテリーナ女学院は、皇帝パーヴェル1世の后、マリア・フョードロヴナの庇護を受け、「良妻賢母」の育成を目指した。
後に、希望者には、家庭教師になるための知識と技能も授けられた。
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