連合艦隊旗艦三笠艦橋で指揮をとる東郷平八郎大将。
日露戦争が始まると、ロシア指導部は、太平洋艦隊を増強するため、バルチック艦隊の回航を決めた。戦艦8隻を含む、全38隻の大艦隊で、極東の制海権を確保するのに十分なはずだった。1904年、ロジェストヴェンスキー中将率いる艦隊は、リバウ軍港を出航する。
石炭満載で速力を落とす
しかし、よく指摘されるように、この大航海は困難を極め、戦う前にもう将兵は疲れ切っていた。日英同盟のために、寄港して補給を受けられる港はほとんどなく、燃料の石炭などの物資を満載していたせいで、日本の連合艦隊よりかなり低速になってしまったのも響いた。
網の目のような網の目のような哨戒網
日本側は、バルチック艦隊が対馬海峡を通るだろうと読んでいた。理由は、補給を受けにくい露艦隊にとって、太平洋ルートは距離が長すぎ、津軽海峡は機雷が多数敷設されていたからだ。
そのうえで、参謀・秋山真之の発案で、70隻以上の艦船を動員して、網の目のような哨戒網をしいていた。そして、東郷平八郎率いる連合艦隊は、朝鮮の鎮海湾を本拠として、十分な訓練を積んで待ち構えていた。
丁字戦法
日本側の勝利を決定付けた丁字戦法(トーゴー・ターン)は、秋山真之が熟慮の末に編み出したものである。敵に圧倒的に優勢な砲火を浴びせられる、この戦法は古来より知られているが、実行は難しいとされていた。敵のほうも、相手の動きにしたがって適宜進路を変えることが可能だからだ。
しかし、秋山は、速度に優れる連合艦隊を、敵のまん前で、180度近く回頭させることで(つまり、ほとんど回れ右をすることで)、イの字の形で露艦隊の進路をふさぎつつ、同方向に進みながら砲火を浴びせ続けるという作戦を立て、実行に成功した。
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