「ディナモ」の象徴 |
秘密警察の父が音頭
設立を提唱したのは、ソ連の秘密警察の父、フェリックス・ジェルジンスキー。彼は当時、チェーカーの後身であるいわゆるゲーペーウー(ソ連人民委員会議附属OGPU)を率いており、このスポーツクラブは、その職員のためのものだった。
クラブの正式名称は、その後度々変わったが、ディナモの名は今日まで一貫している。
1926年には、クラブのマーク(白い菱形にDの文字)と旗、それに白と青のユニフォームが決められた。
ディナモは、「健康な生活」を鼓吹しつつ、急速に発展し、1929年には、全国200都市に支部ができた。ボクシング、射撃、格闘技のサンボの復活、発展も、このクラブの優先課題だった。
1934年には、ユース・ディナモも設立され、多数のオリンピックチャンピオン、世界チャンピオン、欧州、ソ連チャンピオンがここから巣立っていくことになる。
独ソ戦さなかの伝説の試合
独ソ戦に際しては、ディナモを基盤として、最初の義勇軍部隊が編成された。またレニングラード包囲戦のさなかのレニングラード・ディナモの試合や、ドイツ軍占領下のキエフでのサッカーの独ソ戦「デス・マッチ」など、伝説的な試合も行われた(後者では、ソ連選手は八百長を拒んでドイツ・チームに圧勝したため、銃殺されたという噂があった)。
現在、ディナモは各地域に89支部があり、サッカーとホッケーのみならず、バレーボール、ハンドボール、ボクシング、テニス、ウォーターポロ、自動車競技などのチームがある。
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