モスクワの最初の言及

アポリナリー・ヴァスネツォフ

アポリナリー・ヴァスネツォフ

1147年の今日、4月4日に、モスクワに関する最初の言及が、イパーチエフ年代記に現れる。それによると、当時この地域を支配していたユーリー・ドルゴルーキー公が、「モスコフ」という町で会合を行ったという。この年が現在、モスクワ建都の年と定められている。

 1156年には、当地に木製の砦が築かれて、以後次第に拡張されていく。1237~1238年には、モンゴルの来襲を受け、砦は灰燼と帰したが、再建された。

 1271年には、ドイツ騎士団との「氷上の戦い」における歴史的勝利で名高いアレクサンドル・ネフスキーの末子ダニールが、この地を相続してモスクワ公国を開いた。

 

 ウラジーミルの前哨で交通の要衝 

 モスクワは、ウラジーミルにいたるウラジーミル街道を守る前哨として機能していた。また、ネグリン川とモスクワ川の合流地点にある丘に位置していたため、天然の要害で、交通の要衝でもあった。

 モスクワが飛躍し、全ロシアの中心となったのは、ダニールの息子イワン1世(?~1340)の時代だ。カリタ=金袋というあだ名を奉られた彼は、キプチャク・ハン国にうまく取り入り、ハン国の徴税係となって中間搾取で富裕になる一方、権謀術数で、ライバルのトヴェリ公国などを弱体化させ、やがてウラジーミル大公位を得て、名実ともにロシアの盟主にのし上がっていく。