アポリナリー・ヴァスネツォフ
1156年には、当地に木製の砦が築かれて、以後次第に拡張されていく。1237~1238年には、モンゴルの来襲を受け、砦は灰燼と帰したが、再建された。
1271年には、ドイツ騎士団との「氷上の戦い」における歴史的勝利で名高いアレクサンドル・ネフスキーの末子ダニールが、この地を相続してモスクワ公国を開いた。
ウラジーミルの前哨で交通の要衝
モスクワは、ウラジーミルにいたるウラジーミル街道を守る前哨として機能していた。また、ネグリン川とモスクワ川の合流地点にある丘に位置していたため、天然の要害で、交通の要衝でもあった。
モスクワが飛躍し、全ロシアの中心となったのは、ダニールの息子イワン1世(?~1340)の時代だ。カリタ=金袋というあだ名を奉られた彼は、キプチャク・ハン国にうまく取り入り、ハン国の徴税係となって中間搾取で富裕になる一方、権謀術数で、ライバルのトヴェリ公国などを弱体化させ、やがてウラジーミル大公位を得て、名実ともにロシアの盟主にのし上がっていく。
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