画家ミハイル・ヴルーベリ生まれる

「デーモン」、1890年。

「デーモン」、1890年。

1856年の今日、3月17日(ユリウス暦3月5日)に、画家ミハイル・ヴルーベリ(~1910)が生まれた。代表作の「デーモン」の連作、「白鳥の王女」(1900)など、神話、民話、聖書などに題材を求めた作品が多く、象徴主義的な作風をもっている。煌くような色彩や不思議なリアリティーなど、一度見たら忘れられない。

 西シベリアのオムスクで、クリミア戦争に参加した工兵将校の家庭に生まれた。父方の先祖はポーランド人で、ヴルーベリはウグイスを意味する。

 父の希望で、ペテルブルク大学法学部に入学するが、法学にはさっぱり興味を示さず、芸術、オペラ、カント哲学などに夢中であった。にもかかわらず大学を優等で卒業。

 

 イコン『聖母子像』、デーモン・・・

 1880年秋から、帝室美術アカデミーの聴講生となり、パーヴェル・チスチャコフのもとで学んだ。

 たちまち才能を現し、84年にチスチャコフの薦めで、キエフの聖キリル教会の壁画(12世紀)の再建を依頼された。ここで描いたイコン『聖母子像』などは、彼の名声を一気に高めた。

 またキエフ時代には、詩人ミハイル・レールモントフの長編詩「デーモン(悪魔)」によるスケッチと水彩画の制作を始めている。

 

 美術集団「アブラムツェヴォ」派をリード

 89年にモスクワへ移り、民芸的かつアールヌーヴォー的な美術集団「アブラムツェヴォ」派に加わり、舞台美術、陶芸、ステンドグラスなどでも優れた作品を残す。

 しかし、1902初めから精神病の兆候が現れ、病状は次第に絶望的となる。さらに1906年には失明するなど、不幸が重なり、19104月に亡くなった。

 葬儀に際し、象徴主義の大詩人アレクサンドル・ブロークは、こう述べた。「ヴルーベリのような人が、せいぜい1世紀に一度くらい人類にかいま見せてくれるものを前にして、私はただ戦慄するのみです。彼らが目にしたものを私たちは見ることができません」。