64年10月のフルシチョフ失脚後、第一書記に就任したブレジネフは、まず祝日を増やし、さらに土曜日(年間52日)も休日にした。=ロシア通信撮影
週休二日制採択には、国民の“ガス抜き”という意味合いもあった。
60年代初め、フルシチョフの農業改革と軍拡路線が、小麦などの収穫減と食料費高騰を招き、パン屋では長蛇の列がおなじみになっていた。
とくにロシア南部のロストフ州ノヴォチェルカスクでは、ストライキ、暴動に発展し、官憲による発砲で死者24人、負傷者数十名を出す惨事となった。
ガス抜きの週休二日制
64年10月のフルシチョフ失脚後、第一書記に就任したブレジネフは、まず祝日を増やし、さらに土曜日(年間52日)も休日にした。
このような措置が可能だったのは、60年代半ばには、戦後の人手不足が解消に向かっていたことがある。
国民は当然歓迎したが、まもなく「黒い土曜日」なるものが出現した。これは、「会社の都合」で、土曜出勤を強いられる日のことだ。
ちなみに西側諸国では、週休二日は戦後まもなく導入されるようになったが、日本ではようやく80年代以降に採用され始めた。
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