ピョートル・ネステロフ
ネステロフは初め、砲兵学校に学び、砲兵隊に中尉として配属されたが、1909年に飛行機会社に派遣されて、飛行訓練を始めた。
1911年から軍のパイロットの訓練を受け、1912年11月に課程を修了し、軍のパイロットとなった。
彼が一躍有名になったのは、1913年に、70馬力のニューポールIVで、宙返り飛行を行ったときだ。
体当たりで撃墜第1号…
第一次世界大戦が始まると、爆弾の投下に優れた腕前を示した。
1914年9月8日(8月26日)、ネステロフは、モラーヌ・ソルニエ単葉機に搭乗して出撃すると、オーストリア軍の偵察機(2人乗り)に遭遇した。
ネステロフは、主脚を敵機にぶつけて墜落させようとしたが、プロペラが敵機に衝突してしまい、2機とも墜落してしまった。乗員は3人とも死亡。
戦争初期には、航空機には武装はなく、このネステロフの体当たりが、史上初の敵機撃墜ということになった。
平均寿命2週間
戦争当初、軍用機は主に偵察飛行に使われており、敵の陣地を限られた時間で回って、座席から身を乗り出して、重い写真機で撮影するのが目的だった。それをもとに砲撃目標を定めるわけだ。
このように最初はもっぱら偵察飛行だったのだが、やがてお互いにピストルで、そのあとは機銃で打ち合うようになり、空中戦が誕生した。
当時は事故死も非常に多く、イギリス空軍の戦闘機パイロットの配属後の“平均寿命”はわずか2週間だったという。
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