モスクワで30万人集会

写真提供:wikipedia.org

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1990年の今日、2月4日に、モスクワで、ソ連共産党保守派の台頭を背景に、改革支持を訴える30万人集会が開かれた。これはソ連史上最大の集会となった。

集会のきっかけとなったのは、政治局保守派の改革反対の姿勢が強まり、ミハイル・ゴルバチョフ書記長が、共産党が自分の打ち出した路線を認めなければ辞任すると述べたことだ。

そこで、モスクワ市民のゴルバチョフ支持の集会が開かれたわけだが、大方の予想をはるかに超え、ソ連史上最大の30万人が参加した。参加者は、キリスト教民主主義者や無政府主義者までふくむ雑多なものとなり、まず行進してから、クレムリン隣のマネージ広場で集会を行った。

参加者は、憲法第6条、すなわち共産党の「指導的役割」の条項を廃止するよう要求し、これは実際、1ヵ月後に実現した。

しかし、これ以後、このデモの参加者の多くは、改革に幻滅し、反ゴルバチョフのデモを行うことになる。

左右両派の間で沈む 

ゴルバチョフは次第に、改革派と保守派のあいだでバランスをとるのがむずかしくなり、30万人デモの直後の90年3月に、複数政党制と大統領制を導入して、3月15日大統領に選出されたが、権力基盤は弱まっていった。

ゴルバチョフは、副大統領にはシェワルナゼを据えるつもりだったが、シェワルナゼは「独裁が迫っている」と保守派の脅威を訴えて、1990年12月に外務大臣を辞任してしまう。

ゴルバチョフはやむをえず、保守派のゲンナジー・ヤナーエフを副大統領に指名したが、その彼が、他の保守派とともに、91年8月に、ゴルバチョフを軟禁し、クーデターを起こすことになる。

一方、ボリス・エリツィンはこの間、90年5月にロシア共和国最高会議議長に就任し、7月には共産党を離党。91年6月には、60%近い得票率で、ロシア共和国大統領に就任した。

水面下で歴史が大きく動こうとしていた。