=Lori/Legion-Media撮影
「私はフォレスト・ガンプでもなければ、英雄でもありません。これが特別なできごとだとも考えていません。シベリアではこのようなことはよく起こります。ただ私の場合はシラフでこうなったので、それが変わっているところでしょう。
サハ共和国のアルダン市に1ヶ月に2回ほど出稼ぎ運転手をしに行くのですが、ブラーツク市発アルダン市行き(所要時間二日)の列車に乗った夜10時にそれは起こりました。
寝台で横になっていたら眠気が襲ってきたので、寝ようと思いました。列車に乗ったのは昼の1時だったのですが、前の日に背中の痛みでよく眠れなかったのです。寝る前に一服することにして、デッキに出てタバコを吸い、その後誤って別のドアを開けてしまったのです。私が乗っていたのは最後尾車両でしたが、そのドアの鍵はかけ忘れられていたようです。私はドアを開け、そのまま列車から落ちました。
落ちてすぐに思ったことは『起き上がって走らなきゃ』でした。ケガはなく、片手と片足がつっただけだったので、すぐに起き上がり、体をほぐして列車の進行方向に向かって走り始めました。腕木式信号機がいくつか見えてきたので、駅が近くにあることがわかりました。これは幸運だったと思います。
外気温が氷点下45度の中、ジーンズ、Tシャツ、ゴム草履といういでたちでした。線路は走りにくく、草履は何度か脱げてしまいました。
私はシベリアで育ったため、クマは夏にしっかりとエサを食べられなかった場合にしか冬眠から覚めないと知っていたので、今年の夏の状況からクマに襲われることはないと思い、怖いとは思いませんでした。オオカミも怖くありませんでした。
まったく恐怖を感じなかったですし、死や寒さについても考えませんでした。頭の中にあったことは『追いつけ、追いつけ、追いつけ』ということだけでした。
7キロ、時間にして30分ほど走り、ようやくリヒャルト・ゾルゲ駅の駅長代理の元に駆け込むことができました。その人は驚いて私を見つめました。紅茶を入れてくれて、警察に電話してくれました。
心配させたくなかったので、妻には連絡しませんでした。私は元気で、健康で、緊急連絡は必要ありませんでしたから。妻は私に起きたことを新聞の記事で知って、電話をかけてきて怒りました。激怒していたというわけでもなく、すぐに私のことが新聞にのっていると教えてくれました。どの報道でも私が酒に酔っていたと書かれていたので驚きました。私はシラフでした。
列車はというと、その夜に追いつきました。列車はネリュングリ駅に深夜1時から朝7時半まで停車して待っててくれたので、駅長代理が私を車に乗せて届けてくれました。列車に乗って寝台に上がると、そのまま眠ってしまいました。起きて冷静になり、自分の短い人生を見つめ直しました。これ以降は私の個人的な問題ですが・・・」(談)。
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