パーヴェル・ヤブロチコフ氏、ソ連の切手。
ヤブロチコフは、ゼノブ・グラムの直流発電機を単相交流発電機に改造し、それを電源とした。つまり、電源に交流を使用したことと、2本の電極棒を平行に置いたことの2点が主な改良点で、それによって、従来の複雑な距離調整装置がいらなくなった。なぜなら、交流の使用によって両電極が平等になり、電極棒間は平行なので、2本が同じ速さで消耗していくため、電極棒の先端間の距離が自動的に保たれるからだ。
また、電極棒の先端以外で放電が起こらないように、電極棒間に石灰が絶縁体として挟まれた。
この「ヤブロチコフの蝋燭」のお目見えは、ロンドンで1876年4月15日に開催された博覧会だった。
パリ万博で世界に真価を示す
ヤブロチコフの成功は大反響を呼び、世界のマスコミは、「彼の成功は、技術の新時代を開く」、「ロシアの灯は現代の奇跡」、「ロシアは電気の故郷」といった調子で書きたて、多くの国では、「ヤブロチコフの蝋燭」の商業利用のための会社が設立された。
1878年のパリ万国博覧会は、ヤブロチコフの発明を世界に示す機会となり、オペラ座大通りに半マイルにわたり、64個のアーク灯を設置した。
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