「勇壮なバレリーナ」

世界各地での公演に忙しいビシニョーワだが、彼女には故郷サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場という落ち着く場所がある。=オクサーナ・ビシュネベツカヤ撮影

世界各地での公演に忙しいビシニョーワだが、彼女には故郷サンクトペテルブルクのマリインスキー劇場という落ち着く場所がある。=オクサーナ・ビシュネベツカヤ撮影

ディアナ・ビシニョーワが11月、東京文化会館で公演する。ビシニョーワは、ワガノワ・バレエ学校在学中に早くもサンクトペテルブルクのマリインスキー劇場の舞台に立ち、最終学年の時に『ドン・キホーテ』でデビューした。それ以来、前へ向かって走り続けている。彼女は新しい舞踊・劇場・国々に興味を感じ、境界には興味がない。10代でのデビューで彼女は「勇壮なバレリーナ」(すなわち沈黙のうちに静止するクラシカルな役を演じるよりは一つの跳躍で場内を沸かせるタイプ)と皮肉っぽく評されたが、気にもとめなかった。 

ビシニョーワを『白鳥の湖』に出演させたくないバレエ団の主宰者に「役が貰えないなら退団する」と言い張ってこの演目に出演した。その主宰者はもはや劇場にいない。

ビシニョーワのもろく壊れやすい、通好みの白鳥はいくつもの大陸を魅了している。

『幻影の場』も然りで、彼女が『ラ・バヤデール』の第2幕で見事に復讐を呼びかけて死ぬことを疑う者はなかったが、炎のようなこのバレリーナが第3幕で肉体のない精霊の役を演じるところをマリンスキー劇場の教師は想像できなかった。

ABTでもプリマ

1976年レニングラード生まれ。 1995年にワガノワ名称ロシアバレエアカデミーを卒業し、1996年からマリインスキー劇場のソリスト。2005年からアメリカンバレエシアター(ABT)のプリマバレリーナ。

国民演劇賞『ゾロターヤ・マースカ(金の仮面)』を3部門で受賞(2009年)。ロシア人民芸術家。 主な出演:『ジゼル』(1999年)、『Steptext』(2004年)、『アンナ・カレーニナ』(2010年)ほか。

ところが、舞台で踊ってみると、炎はどこへもうせず、それはあたかも氷を通して輝くような、死の運命にある登場人物たちが目指した温もりを魅するような炎となった。

けれども役を求めるケースは珍しく、人に頼むことを好まない。ベジャールが好きでもマリインスキー劇場でそれが取り上げられないなら、ベルリンへ赴いて新たな表現力を身につけ『ニーベルングの指環』に出演した。

しかも体面を一切気にせず、第2キャストであることを受け容れた。大事なのは作品であって、誰が最初に演じるかは問題ではない。彼女は自分を目にした観客は第10キャストであっても自分の舞台を見に来てくれると信じている。

彼女は自分で自分の世界のレパートリーを作っている。例えば、ジョン・ノイマイヤー(ハンブルク・バレエ団の芸術監督。彼女のために特別にバレエ『ダイアローグ』を振り付けた)を選び、ネザーランド・ダンス・シアターの気難しい指導者ポール・ライトフットとソル・レオンの作品を踊る許可を取り付けた。

また、20世紀半ばにクラシック・バレエと妥協なき戦いを繰り広げたモダン・ダンスの草分けであるマーサ・グラハムの『迷宮への使者』のために苦しみ、学んで、クラシックの訓練を受けた自分の肉体をすっかり改造した。

ビシニョーワのレパートリーを家にたとえるなら、あらゆる自然現象が呼び込まれ、すべての窓が開け放たれている家である。

一つの窓にはウィリアム・フォーサイスの稲妻が飛び込み、隣の窓では『眠りの森の美女』の太陽が目を細め、三つ目の窓ではノイマイヤーのバレエのさざなみが走っている。

ビシニョーワは定期的にアメリカン・バレエ・シアターで自分のシーズンを送っており、昨シーズンはモスクワのボリショイ劇場と招聘バレリーナの契約を結んだ。

さらに、カナダのエドゥアール・ロックが主宰するコンテンポラリー・ ダンス・カンパニー『ラ・ラ・ラ・ヒューマンステップス』とのツアー公演を行った。

世界の多くの劇場がこのアーティストを待っているが、彼女は決まってサンクトペテルブルクのマリンスキー劇場へ帰ってくる。そして、新しい役・表現力・人々との協力の経験を携えて劇場のレパートリーに注ぎ込んでいる。

舞踊には何ら変わりはないが、ビシニョーワ自身は変わりつつある。

自分の人生における一番の成功は、との問いに彼女は「舞台作りを可能とする内面的な調和の達成です。近年、私が自分の中に調和を見出したというのはとても大事なことで、これは早くも外面的な成果をもたらしています」と答えている。