フィギュアの高橋大輔選手

=アレクサンダー・ヴィルフ/ロシア通信撮影

=アレクサンダー・ヴィルフ/ロシア通信撮影

フィギュア・スケートの高橋大輔選手が2008年の大ケガを乗り越えて完全復活したのは、2010年トリノ世界選手権で金メダルを獲得したときだろう。それでも本人は、今やっと本格的に復帰したと考えている。中国上海で行われたグランプリ(GP)シリーズ第3戦は、高橋選手にとってオリンピック前のシーズンでは初の滑りとなった。

モロゾフ氏とのコンビ復活 

6月に再びニコライ・モロゾフ氏をコーチとして迎えると決定した時は、多くの人を驚かせた。モロゾフ氏こそが、高橋選手を世界選手権2位にまで押し上げたのだ。これは2007年のことだったが、やがて日本人マネージャーが練習に干渉してくることが、さまざまな理由でモロゾフ氏をいら立たせたため、その後関係が解消されることになってしまった。

2008年2月、高橋選手は韓国で行われた四大陸選手権で、4回転ジャンプを2回入れたフリーのプログラムを見事に滑り、伝説的なエフゲニー・プルシェンコのトリノ五輪優勝時の記録を打ち破った。ところが、2008年3月のヨーテボリの世界フィギュア・スケート選手権へは、マネージャーがスケート靴を注文した際にサイズを間違えてしまったことによって、足が擦れて出血した状態でのぞむ羽目となってしまい、高橋選手はメダルを取れずに終わり、怒ったモロゾフ氏は、愛弟子との提携関係を終えることとなる。

モロゾフ氏は感情的になりすぎていたのかもしれないが、いずれにしてもそれ以降長くはコーチをできなかっただろう。というのも、その後しばらくして高橋選手は、高いレベルを目指せなくなるような、右足膝の前十字靭帯と半月板を損傷するというアクシデントに見舞われたため、滑りの中断を余儀なくされたからだ。

大ケガの克服 

大ケガだったが、それでも高橋選手はスケートを止めようとは考えなかった。これについては、極めて率直に述べている。

「フィギュア・スケートは僕にとってすべてです。僕の人生であり、人生で羽ばたく夢を実現できる僕の可能性です。思い出す限り、ずっと氷の上にいたし、いつも滑っていて、夢の中でさえそうでした。スケートはあらゆる動きに意味を与え、ジャンプやフライトなどに夢中にさせてくれます。一時期とても疲れたと感じたことはありました。すべてを投げ捨てようと考えましたが、でも長光コーチがただがまんすればいいだけだ、僕の頂上への道のりは始まったばかりなんじゃないか、と言ってくれました」。

長光コーチの言葉 

4回転などの他のジャンプの技術を習得するよう挑戦するのか、無駄に選手生活を終わらせてしまうのかという条件をつきつけたのが、長光コーチだった。高橋選手は2カ月間、1日10時間の練習をし、15年間で習得した技術を完全に変えようとしたが、思ったような結果は得られなかった。

しかし、2012年のニースで行われた世界フィギュア・スケート選手権では、4回転ジャンプを2回飛び、以前と同様に、最高の目標を目指していることを世界に示した。

その時にはこう語っている。「飛ぶとは思いませんでした。これで僕の新しいプログラムはすべて、4回転ジャンプを中心に組まれるでしょう」。3回転ジャンプは軽すぎて、経験豊かな高橋選手にとってふさわしくないと感じてしまう。

「リハビリをしていた時、トレーニング以外の自由な時間にやっていた子供教室が、とても役に立ちました。子供たちに、自分の知識、経験、技術、自分のミスを回避する方法などを、すべて伝えるように努力しました」。

「大目標にいどむ心構えはできている」 

高橋選手が今シーズン、ニコライ・モロゾフ氏と再度組もうと決めたことは、多くの人を驚かせたが、それも最初だけだった。2008年の二人のわかれは、双方にとって悲劇的で感情的なものだったが、高橋選手がモロゾフ氏のもとに戻ってきた時にはいかなる感情もなく、現実主義しかなかった。

10月、この件について高橋選手はコメントした。

「どうやったらソチで勝つことができるかと、いろいろ考えました。そして、以前のようにたくさん練習すること、それもプログラムの技術的な部分ではなく、振付けの部分、つまりほぼダンス・ソリューションを磨くということが必要だと思い立ちました。モロゾフ・コーチはそれを僕に与えてくれると思います。コーチは、毎回の新しいプログラムが、僕が製作者で、主役で、撮影技師で、編集者の、僕自身の映画となることを確信させてくれました。ソチ五輪までには間に合うでしょう。これが僕の冒険となり、頂上への道のり、スポーツの武士道の悟りとなればいいですね。僕はそのために準備し、大きな目標にいどむ心構えはできています」。