おもちゃのモスクヴィッチ408=Lori/Legion Media撮影
この工場は初めは、アメリカ製の部品で、Ford AAを組み立てていたが、2年後に、ウラル地方にニジェゴロド工場を建設してからは、国産部品でGAZ-Aと GAZ-AAを生産するようになった。1941年には、小型乗用車KIM-10の生産を開始した。
「人を轢いちゃうかも」
1945年には、敗戦国ドイツの小型大衆乗用車オペル・カデットの生産施設を移築し、モスクヴィッチ400(ベースは1938年生オペル・カデット)の大量生産開始が決定された。工場は、モスクワ小型自動車工場(MZMA)と改名された。
モスクヴィッチ400が初めて路上に現れたのは1947年のことで、保有者はMN(キリル文字はМИ)で始まるナンバーをもらった。МИ の意味は、«могу искалечить»(人を轢いちゃうかも)だというジョークが流行った。
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