生神女庇護祭は、ロシアで伝統的に最も愛される祝日の一つで、12世紀にウラジーミルのアンドレイ・ボロリュプスキー公によって制定された。
伝説の由来
生神女庇護祭の由来はさらに古代へさかのぼり、生神女(聖母マリア)が910年、敵に包囲された、東ローマ帝国の首都コンスタンチノーポリに現れ、聖アンドレイとエピファニイが生神女を見たとの伝説にもとづく。
それによれば、聖アンドレイは宙に浮いた生神女が教会に向かうのを目の当たりにし、それから聖母は、礼拝者の頭に自らのスカーフを広げた。生神女が教会を去った後、スカーフは見えなくなったが、教会には生神女の庇護(ポクロフ=覆いの意味)が残ったという。
生活習慣と結びつく
生神女による庇護を意味するこの祭日は、ロシアで伝統的に広く祝われており、生活習慣や季節感とも結びついている。この季節に過酷な農作業と収穫を終え、全国で市場が開かれて、一息つける時期であり、結婚式のシーズンでもあった。
ロシアには 「赤の広場」にあるポクロフスキー・サボール(聖ワシリー大聖堂)をはじめ、無数のポクロフスキー寺院があるが、これはみなポクロフ(生神女の覆い、庇護)から来ている。
「ロシアの声」から転載
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