ロシア・アカデミー創設

1783年の今日、ロシア・アカデミーが創設された。総裁には、エカテリーナ・ダーシュコワ(1743~1810)が、科学アカデミー院長と兼任で就任した。

エカテリーナ・ダーシュコワ

「ロシア・アカデミー辞典」

 ロシア・アカデミーは、ロシア語の研究と辞書の編纂などを課題とし、その最初の成果は、ロシア初の国語辞典「ロシア・アカデミー辞典」として実を結んだ。

1793年に完成した「ロシア・アカデミー辞典」は全6巻で、語彙は4300以上にのぼる。編纂には、当代一流の学者のほか僧侶や貴族も協力した。ダーシュコワ自身も執筆した。

ダーシュコワ夫人 

ダーシュコワは、名門ヴォロンツォーフ家の出で、エカテリーナ二世の皇太子妃時代から親しかった。エカテリーナがクーデターにより、夫ピョートル3世を廃して即位したときには、オルロフ兄弟の取り込みなどで貢献している。

ロシア・アカデミーは、19世紀初めにいたるまで、ロシアの言語学、ひいてはロシア文化の発展に大きく貢献した。書籍刊行、各都市での図書館創設、学術調査などを企画、推進した。

ヴォロンツォーフ一族 

ついでに、ダーシュコワの生まれたヴォロンツォーフ一族について一言。彼女の姉エリザヴェータは、エカテリーナの夫ピョートルの愛人だった。

兄アレクサンドルは、アレクサンドル一世時代の最高文官(外相)で、改革派の「若き友人」たちを指導する立場にあり、政界の黒幕として大きな影響力をもった。改革者ミハイル・スペランスキーも彼の人脈である。

ダーシュコワの弟セミョーンは外交官で、長年イギリス大使を務め、パーヴェル一世の暗殺に少なからぬ役割を果たしている。18世紀から19世紀にかけてのロシアの裏面史を理解するうえで、重要な一族だ。

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