=GettyImages/Fotobank撮影
北海道函館市にある漁師町・南茅部(みなみかやべ)地区。観光資源でもある縄文時代の遺跡の横で連日、昆布加工施設が機械の音を響かせている。
乾燥した原材料を溜め置く倉庫で、北海道産と並んで加工を待つのがロシア・サハリン産の昆布数百キロだ。昆布は煮物・鍋物のだしを始め、多くの和食に使われる食材だが近年、ロシアからの輸入も本格化しつつある。
サハリン産の昆布は良質な高級ブランドで、その厚みも申し分ない。ロシアの企業と協力して昆布漁を事業化させ、「樺太昆布」復活の道を開いた成田省一さん =吉村慎司撮影
ロシア産昆布を加工するのは地元の協同組合「道南伝統食品」。初代理事長の成田省一氏(61)は、「元々サハリンは日本領時代、高級ブランド『樺太昆布』の産地だった。今も海の状態が良く、厚みも長さも申し分ない天然ものが採れる」と話す。
ロシアでも昆布をサラダなどにして食べるが、だしを取る習慣はない。サハリンでも地域によっては雑草同様の扱いが長く続いていたという。そんな中、日本の昆布漁の技術を伝え、漁場や働き手を育てて安定貿易を実現したのが成田氏だ。
南茅部に生まれ、20代から昆布加工業を営んできた同氏は、40代後半になって知人の招きで初めてサハリンに渡った。1988年のことだ。当時は日本での昆布の採取量がじわじわと減ってきて、国外からの原料調達が頭に浮かび始めていたころでもあった。
外国視察は初めてではなかった。それまでに中国や、ロシアの別の地域に足を伸ばしたが昆布の状態が理想とはほど遠く、事業化できるとは思えなかった。だが、北海道に近接する島で目にしたのは、良質な昆布が手つかずで大量に放置されている姿だった。日本の漁業団体などに向けて一部が輸出されることもあると聞き、サハリン通いが始まった。
ロシア政府による今年の昆布漁の漁獲割り当てのうち、貝殻島周辺でその66%を日本の漁船が水揚げした。重量で2588.7トンになる。
それまで成田氏はロシアとの接点はほとんどなく、ゼロからのスタート。ツテを頼って地元の水産業者や行政関係者とパイプをつくった。技術指導のために海岸に現地住民を集め、自ら採取道具を手に昆布を取る。実際に昆布を並べて干し方を見せたり、選別の際の判断基準を教えたりして事業化していった。
3年がかりで商品化にこぎ着けたが、輸出入手続きは順調には進まなかった。
昆布は、日本政府が国内業者保護のために設ける「輸入割当制度」の対象品目。政府の承認がなければ輸入はできない。東京にも通って粘り強く交渉した末、輸入が実現したのは05年の冬だった。
商売はシンプルだ。自ら指導したサハリンのパートナー企業に漁と乾燥を任せ、組合が輸入する。あとは組合が小分けパックや調理品などに加工して販売する。
日本への海産物の輸出額(2012年1~4月)
輸入量がまだ少ないため取り扱い小売店は一部に限られるが、噂を聞きつけた首都圏の料亭などから「取り寄せたい」との申込みが入るという。
日本の昆布漁は前途洋々ではない。漁場の環境が変わってきたうえ、漁師の高齢化で国内の昆布類採取量は11年は6万トン強と、20年前の半分の水準に落ち込んでいる。
ロシアとの協力で「樺太昆布」を復活させる成田氏の取り組みは、日本の食文化を守るという意義もありそうだ。
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