「プッシー・ライオット」をめぐる騒動

ニヤズ・カリム

ニヤズ・カリム

ロシアと西側諸国の文明闘争は、新たな段階を迎えた。パンク・グループ「プッシー・ライオット」が、プーチン大統領候補(当時)を批判するゲリラライブを救世主ハリストス大聖堂で行い、現在裁判中の身となっているが、これを取り巻く状況は、そのことを物語っている。

「中世に逆戻り」 

西側諸国は、体制批判で女性歌手を裁判にかけるロシアは、中世に逆戻りしていると考えているし、西側の市民は、教会で「プッシー・ライオット」が反対活動を行ったことは、市民の権利と現代的な芸術の観点から見れば、いたって合法的であり、半年もそれで拘束されているのは非合法的であると主張している。

プッシー・ライオット事件

2012年2月21日、覆面をかぶった「プッシー・ライオット」の5人のメンバーが、モスクワにある救世主ハリストス大聖堂の升壇(聖職者しか入ることのできない、祭壇前の場所)に上り、「聖母マリア様、プーチンを追い出して」を叫びながらゲリラライブを行った。教会の警備員がライブを阻止したため、数十秒しか行われなかった。

3月2日、モスクワ警察は、最大7年の拘束が定められている「フーリガン行為」の容疑で、メンバーを指名手配し、3月4日、ナデジダ・トロコンニコワとマリヤ・アレヒナの2名、続いてエカチェリーナ・サムツェヴィッチを逮捕した。メンバーは60日の期間で拘束されたが、現在も取調べは続いている。

自由主義的な西側は、表現の自由と少数派の権利の保護が、現代のヨーロッパの最優先事項だとくぎを刺しつつ、人権問題でもめているシリア、エジプト、ウクライナ、ハンガリーなどの国と同列にして、ロシアに人権を認めるべきだと要求している。政府に批判的な人がいない国は、遅れていると見なされ、世界的なのけ者になったりするのだ。

ロシア人の多くが憤懣 

ロシア人の多くは、「プッシー・ライオット」が、国の重要な教会で神を冒涜するようなライブを行ったことに、反感を持ち、憤っている。

宗教的にビザンツ帝国の継承者であるロシアは、たとえ権利が認められていても、それが道徳感や公平性に矛盾するなら、法の文言は適用しない。ロシアは、西側がその伝統的なキリスト教の文化を、自由主義的な“偽道徳”に置き換えていることを批判している。

西側が、キリスト教以後の文明の中ですでに長い時間を過ごしている一方で、ロシアはソ連時代に失われていた、ヨーロッパのキリスト教の原点に回帰している。

冷戦時代、西側は、社会主義に基づいて宗教を禁止したロシアを批判していたが、今は原理主義だと言って、ロシア正教会を非難している。ロシアでは、信者の宗教的感情は冒涜や悪罵から守られるべきだと考えられている。“ヨーロッパ”のギリシャで、聖地アトス山が女人禁制となっているのは矛盾だとロシア人は西側に抗議している。

新中流層は西側に同調 

西側とロシアの世界観は、丸ごと入れ替わったかのようだが、ロシア国内でも意見は異なる。3分の2の国民は、どちらかと言えば保守・伝統的な意見を持ち、教養の高い新中流層が主流の3分の1の国民は、西側と同じ目で「プッシー・ライオット」の裁判を見つめている。

プーチン大統領の発言

「ゲリラライブをやって良いことなどないだろう。もし『プッシー・ライオット』がこれをイスラエルでやったら、ユダヤ教の何かを冒涜することになっただろうし、多くの人が知っているように、あの国には屈強な人々がいるのだから、簡単には出国できなかっただろう。またはコーカサスに行って、イスラム教の聖地を冒涜したら、警備は守りきれなかったと思う」。

この中流層はヨーロッパのような生活を望み、ロシアの「独特な世界観」を拒んでいる。「教養高き西側風ロシア人」の数は急増しているから、次の世代のロシア人は、大多数がこのような人々になるだろう。

ドストエフスキーなら? 

さて、「プッシー・ライオット」についてだが、偉大な作家で「ロシアの難しい心」をよく知っているフョードル・ドストエフスキーなら、きっとこの逮捕を正しいと言うだろう。そして、司祭のもとへ行き、心から懺悔することをすすめるに違いない。司祭は、この若い女性たちの罪を許し、正教会はこの一件に終止符を打つだろう。

現代の世界、特に政治の世界においては、「プッシー・ライオット」の問題が国際政治レベルにまで発展しているのだから、簡単には終わらない。ロシアを理解できない西側と、西側の説教が受け入れられないロシアとの軋轢は、今後も続いて行く。この問題にからむロシア国内の混乱した状態は、政府があらゆる考えの人々と対話をしない限り、収まらないだろう。

記事の完全版(ロシア語のみ)